映画「新聞記者」に感じた、事実と虚構の境界がわからなくなる気味悪さ。
先月、映画「新聞記者」を見ました。一言で言うと「気味が悪い」という印象が残りました。見たのが少し前なので思い出しつつ、ネタバレありで、その「気味悪さ」を感じた理由を書いてみたいと思います。
- 作品の背景:東京新聞・望月記者の自伝が原案
- 内閣府・情報調査室のフィクション感
- 記者・吉岡の半生の描き方がいまいち伝わってこない
- 実際に起きた出来事のオマージュ
- メディア・新聞社を盛り立てすぎな感じ
- 終わり方が怖い。希望を持ちたかった
- 映画に関する記事を読んでみた
作品の背景:東京新聞・望月記者の自伝が原案
望月衣塑子さんの「新聞記者」が原案の本作は、政府の闇に迫る女性新聞記者と、理想と現実に葛藤するエリート官僚との対峙を描いた、完全オリジナルストーリーの政治エンタテインメントです。
映画『新聞記者』シム・ウンギョン×松坂桃李×藤井道人監督インタビュー「自分で判断できる目を持つことが大切」|特集|POPLETA
望月衣塑子さんは、東京新聞の記者で、官房長官の定例会見でのことが話題になった方です。私も何が起きたのかちゃんと知らない状態ですが、記事だけ紹介しておきます。↓
また、原案の本はこちらだそう。↓
ではこれから、作品を見て感じたこと(主に違和感)を整理してみます。
内閣府・情報調査室のフィクション感
外務省から内閣府に出向して、情報調査室で働く杉原。彼が働く部署の部屋は無機質で薄暗く、ずらっと並んだパソコンの画面が煌々と光っている。そこで情報操作のためツイートを捏造する同僚。
不気味な感じを演出したいのならそれは伝わってきましたが、いかにも感が強くて違和感を覚え、入り込めなかったです。
一方、もう一人の主人公・吉岡が働く新聞社の様子は、とてもリアルでした。実際、東京新聞の社屋で撮影されたそう。書類が積み重なった机や、人が行き来したりする様子は有機的で活力を感じました。きっと情報調査室と対比させているのでしょう。
記者・吉岡の半生の描き方がいまいち伝わってこない
吉岡エリカは、アメリカ育ちで母が韓国人という設定(韓国の女優さんが演じています)。そして父はジャーナリストで、政権にとって不利なことを暴いたがために死んでしまったようです。その父の背中を追って、慣れない日本で新聞記者をしているというストーリーです。
…なのですが、そんなストーリーが比較的短時間で語られるので、あまり伝わってこず。父親の人物像もよくわかりません。しかも父のことがわかる場面も、アメリカ時代に知り合っていたジャーナリストと日本国内の記者会見で遭遇し、彼から語りかけられる、というもの。わざとらしさを覚えました。
実際に起きた出来事のオマージュ
不自然な大学の新設や、官僚の自殺など、実際に近年の政治界隈で起きた出来事とかぶる出来事、しかも未だに解決・解明されたとは言えないことが映画で描かれるのは、事実と虚構の境界がわからなくなる感覚でとても気味が悪かったです。それと同時に、継続中と言えるセンシティブな内容を映画で扱ったことはすごいなと思います。この点では、「事実に基づいたフィクション」とも言えます。
また、映画の中で何度も、ある対談の映像が出てきます。その一部がハフポストで記事としても読むことができます。内容は以下の通り。
作品に合わせ、望月記者と元文部科学省事務次官の前川喜平氏、新聞労連委員長で朝日新聞記者の南彰氏、元ニューヨークタイムズ東京支局長でジャーナリストのマーティン・ファクラー氏の4人が、安倍政権の実態や報道のあり方について対談した。
私はこういう映像が入ってくるとは全く知らなかったので、「え?この映像は何なの?どういう意図?」とわからないことだらけでした。この映像は他のメディアで放送されたものなのか?映画用に撮られたものなのか?映像に出演している人は普通に本当に思うことを話しているのか、それともこれは演技で、本人役で出演しているにすぎないのか?
ドキュメンタリーとしてこういう映像を見せられるのは理解が及びますが、フィクションとしての作品を見に行ってこういう映像が入ってくると、あまりにも事実や「今」と近すぎて困惑してしまいました。「フィクションには求めていない」と思ってしまう。作品を見に行く時にそうとわかって、そのつもりで行けば見え方は違ったでしょうが。
「現実と近すぎる」場面もありながら、先ほど書いた内閣府の情報調査室(内調)の、ある意味浮世離れしたような、SFのようなフィクション感ある場面もある。それがこの作品の独自性とも言えますが、私は「ついていけなさ」の方を強く感じました。
メディア・新聞社を盛り立てすぎな感じ
上記映像を映画製作側からハフポストが提供を受けて公開しているということや、新聞社が積極的に新聞でこの映画を取り上げていたことなど、「大手メディアがサポーター」という感じにも気持ち悪さを覚えてしまいました。映画が独立していない感じ。
新聞が刷られて各家庭に届けられるのを描く場面も、いろんな試行錯誤があって記事が書かれてようやくそこまでたどり着く、ということは伝わってきたしそれはリスペクトします。しかし一方で「新聞をヨイショしてる」感じがあって白けてしまいました。
終わり方が怖い。希望を持ちたかった
最後のシーンは、なかなか衝撃的でもあり、絶望的終わり方でした。また正義感ある官僚が上層部に潰される、負の連鎖を予感させるラストシーン。終わった瞬間は、「えー?!」と声が出そうになるのを抑えつつ心の中で言ってしまうほどでした。松坂桃李さんの、覇気のなくなった杉原の演じ方はうまかったと思うけども。
この手の作品を「怖い」「難しい」という印象を抱かせる形でしか描けないのは、日本の映画界の未熟なところだと思ってしまいました。現在進行形のことを扱っている以上そうなってしまうのでしょうか?希望を持てない終わりにすることで、「あなたの周りにも…」的な、ホラーみたいな怖さを感じて、どう捉えて良いかわからず。
映画に関する記事を読んでみた
あまりにもいろんな疑問が残ったので、映画に関するインタビュー記事を読んでみました。そこで語られていたことと、自分が思ったことをいくつか書いてみます。
「今起きていることだよって見せることで、「このニュース知っているかも」とガッと急に体が前に来る」
マイソン:
あと具体的なニュースを彷彿とさせるエピソードがいくつか出てきて、見方によっては日本の政界に対する挑戦的なメッセージにも思えました。描くにあたって気を付けたところとか、こだわった点はありますか?藤井道人監督:
描く上ですごく気を遣ってしまったら、じゃあ全然違う話で良いじゃんってなるので、そこに対しての気遣いは特にしていないです。ただ、新聞記者側からの世界だけではなくて、なるべく両軸から事件を照らすべきだなと思っていました。その事件を描くことによって、センセーショナルさを出したいという気持ちは一切なくて、今起きていることだよって見せることで、「このニュース知っているかも」とガッと急に体が前に来る。
この部分に関しては、「こういう考え方もあるんだ…私は違うけど」と思いました。(笑)私にとっては、興味を惹かれるのではなく、逆にわからなくなってしまったポイントだったから。しかし、これに続く言葉には共感しました。
それで「自分が今生きている世界の話をしているんだ。彼らは一生懸命その語りを始めようとしているんだ」という気持ちになってくれる人が1人でも多くいれば嬉しいです。その中で家族の話、メディアの話が他人事のまま、この映画が終わってしまうと意味がないって思っちゃいますね。そこにも、できれば自分の生活にリフレクション、反射してくれる映画になってくれれば良いなという思いがあります。
確かに、今起きていることとこんなにも近いことを扱うのは挑戦的でもあり、「本気だ」と思わされました。
「映画人が政治を扱った映画を作ることを自主規制している」
こちらは大手新聞の記者の鼎談です。以下の部分にとても共感しました。
映画人が政治を扱った映画を作ることを自主規制してますよね。もしくは上から言われて規制せざるを得なくて、それが常態化している。「どうせ当たらないだろう」と作り手側も思っている人が多い中、この作品はそれを打破する可能性を秘めているなと。
「政治ものは当たらない」から作らない→より政治が一般の人にとってより遠く、面白くないものになっていく という悪循環になっているのを感じます。だからこそ、面白いアプローチの作品が出てきてほしいところです。
政治に明るくないと、政治エンタメ作品は作れない?
こちらの記事で、気になった点がありました。
藤井監督:僕は政治に対してアプローチできるほど知識が豊富な人間ではなかったので、オファーをいただいたとき最初はお断りしていたのですが、河村プロデュサーの熱い思いを受けて、そこからすごく勉強して脚本を直しました。
ここに、「政治に詳しくないと政治を扱う作品は作れない」というような意識が現れていると思いました。作品を作る側は“政治もの”へのハードルを感じているということ。先ほどの記事で言われていた「当たらない」という理由と合わせて、だから“政治もの”が少なくなってきているんだろうなと感じました。
官僚「印象操作はカウンター」
先ほどの記事でもう一つ気になったのは、監督が官僚に話を聞いた時のエピソード。
官僚の方にお話を伺ったとき、「記者に対しての印象操作と言われるものが仮にあるとしたら、それはカウンターなんです。攻撃されたからやり返しただけであり、僕達には僕達の正義がある」と仰っていて、それが絶対に間違っているとは思えなかったんですよね。彼らにも生活があり、彼らなりの正義もある。そこをおざなりにする作品にはしたくないと思いました。
映画『新聞記者』シム・ウンギョン×松坂桃李×藤井道人監督インタビュー「自分で判断できる目を持つことが大切」|特集|POPLETA
ここで書かれている官僚の発言には強い違和感を覚えました。国を動かす権力を持った省庁や官僚が言動などを検証されるのは当然で、それは攻撃ではなく、知る権利を行使しているに過ぎないと思うからです。まあ、やり方や着目点はメディアによるし、その是非はまた別で問われねばなりませんが。
一方で、官僚にも正義はあるし、生活もある、ということは理解できるし、作中の随所で伝わってきました。杉原にも家庭はあるし、高圧的な上司・多田にも「安定した政権運営が国民のためになる」という正義はある。「官僚=悪」という一辺倒な描き方をしなかったのは確かに作品の深みにつながっているとは思います。しかし、それでわかりにくくもなるし、何が正しいのかわからなくなる気味の悪さに襲われます。
わかりやすさばかり求めるのも浅さにつながってしまうけれど、私はフィクション・エンタメ作品として、もう少しわかりやすさや痛快さが欲しかったです。
「新聞記者」に感じた「気味悪さ」を解剖してみました。思うのは、政治など映画のテーマが好きな人というより、サスペンスや怖い作品などジャンルが好きならば楽しんで見れるのではないか、ということ。そういう意味では、政治にそこまで関心がなくても見てもらえるのかもしれません。
この作品に続いて、政治に関してもいろんなアプローチのエンタメ作品が出てくることを期待したいです。