ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

MGC国歌斉唱でのコブクロ小渕さんに、一介のファンが思う葛藤を懺悔します。

コブクロファン歴11年の私は、先日のある出来事と、それに至るまでの色々に、もやもやしております。私自身とコブクロについての葛藤を、書かせてください。 

 

MGCの国歌斉唱でやっちまったらしい。

先日あった、東京オリンピックのマラソン日本代表の2名が決まるレース「マラソングランドチャンピオンシップMGC)」。レース前の国歌斉唱に、コブクロ小渕さんが抜擢されました。小渕さんはマラソンを7年やっていて、大阪マラソンにもほぼ毎回出場しており、そのことも評価されての抜擢だったとか。

ラソンへの思い入れがあるからこそ、選手への尊敬や共感など、いろんなものが相まって、「人生最高の緊張を更新」したそう。しかも、いつもは黒田さんがいるけど、1人での歌唱。

で、選手に感化されたのか、敢えて「限界のキーに挑戦」し、「思いっきりずっこけた」そうな。(本人のファンクラブ内ブログ談。)(私は当日も見れなかったし、後述の理由で今からでも見る気になれなくて見てはいません、ごめんなさい。笑)

正直、私は発表を見てから心配だった。悪いけど楽しみとか応援とかより、心配が9割だった。

 

2011年の活動休止と、翌年の復帰

知ってる人がどれくらいいるのかわからないけど、コブクロは2011年夏から半年ほど活動休止しました。小渕さんの声の不調(発声時頸部ジストニア。高音を出そうとすると声がひっくり返る、力が入らない)が主な原因。でも、コブクロ結成からがむしゃらに歌ってきた2人は、体力やメンタル的にもぎりぎりだったらしい。

小渕さんの声の不調は2010年末頃から明らかだったので、私としては、「理由があったんだ、良かった」「休めば治るなら数年でも休んで欲しい」と思っていました。

でも、丸1年後には表舞台にも復帰。「早くね?」とは思いつつ向かった、復帰一発目の、大阪でのフリーライブ。5万人が参加して、私もその一人でした。普段のライブと比べたら曲数は少なめで、そしてまだ本調子ではなかった。全然声出てない。「もっと休めば良かったのに」「焦ったんだな」って思いました。

今思えば、多分、練習ではうまく歌えても、本番ではプレッシャーで調子が狂ってしまってたんだと思う。小渕さんの「病気」は、そういうメンタル的な要因もあるとのことだったから。そしてそれを晒す決意を持って、小渕さんは表舞台に立ったんだろう。

でも、好きだからこそ、聞いていられなかった。一緒に辛く、悔しく、心配になってしまって。本調子で帰ってきてほしかった。大阪ライブの前後で出たMステでの歌唱も、正直散々だった。だから、「もう無理だ。しばらく距離を置こう」と思って、2年ほどライブも行かず、情報もほぼチェックせず過ごしました。

後日談では、黒田さんは復帰後も「やめるつもりだった」と。お世話になった人への最後の挨拶みたいなつもりで、復帰ライブも、翌年のツアーもやっていたと。

黒田さんのそんな気持ちも振り切れて、小渕さんもステージ上でもうまく歌えるようになってきた2014年頃、私の人生とコブクロはまた重なり始めました。

 

正直、最近のライブなどでも調子が悪いことが多い。

2014年からの数年は、ライブでもほぼ心配なく聞けていたと思います。だけどまた去年くらいから、小渕さんは調子が悪いことが増えてきている気がします。私が行ったライブが不調に当たってるのかな?

そして、そういう状況に関して、小渕さんは、手放し、あっけらかんと、するようになってきた。例えば、今年行ったツアーのさいたま公演(6月30日@SSA)では、ある歌を歌った後の曲説でこんな風に言っていました。

「無理をして、それでまた無理しなきゃいけなくなって、ってことがありますよね。僕もさっき頑張りすぎて、サビのいちばん大事なファルセットの部分がかすれてしまいました。力が入っちゃってた。自分で言っておいて無理しちゃってたね。でも最後の部分は気力で、みんながくれた力でなんとかうまく歌えました!ありがとう!これからも自然体で、ありのままで歌を続けていきたいです」

この話をしたとき、会場はややどよめきました。こういうことを2万人を前にしても言うことに、良い意味での諦め・手放しや、自然体でありたいという姿勢を感じました。言い方がなんかカラッとしてて、爽やかだった。いろんなこと、力んでも仕方ないよ、力抜いた方ができることもあるよ、みたいなメッセージを、歌からも話からも感じた。

これからも自然体で、ありのままで歌を続けていきたい」。この思いは尊重したい。私の一番の願いも「歌い続けてくれること」だから。

だけどね。その一方で、厳しく冷ややかに見てしまう自分もいる。「プロじゃん」「お金払って来てるのに」「調子整えて来てよ」って思う自分がいる。諦めてんじゃねーよ、自己満足に巻き込むなよ、と。自分でも書いていておどろおどろしいくらいだけど、事実。

小渕さんが調子がばっちりの時の、伸びていく声や気持ちよく歌う姿が本当に好きだからこそこう思う、つもり。だけど、私はその愛と期待の裏で、何か強いものを振りかざしてしまってるのかもしれない。そしてそれは、自分自身にも。

調子が悪いなら聞きたくないなんて、ファン失格なんだろうか。

受け止められない私が弱いんだろうか。

もちろん、同じ人間だし、毎回同じように歌えとは思わない。プロだからって毎回完璧ではないし、何が良くて何がダメかなんて、人によって違う。

コブクロの2人は性格も歌もまるで真逆で、歌の調子に関しては、黒田さんは前から波がある。それはファンもある程度了解していると思う。調子悪いこともあっても、その分爆発的に素晴らしい歌を歌うこともあるから。そして一方の小渕さんは、前までは超安定だった。だけど今はちょっと変わってきた。

こう考えると、私の中に「ダブルスタンダード」があるような気がしている。黒田さんの不調はまだ受け入れられても、小渕さんの不調は許せないという。でもそれだけ、小渕さんには期待したいのよ。完璧を求めたくもなるのよ。昔できてたから。でもそれは無理の上だったと、病気が明かしてくれた。わかってはいる。

 

弱さ・失敗・できないことを晒すということ

私も、音楽に関して、人前でやっちまった経験がある。中学3年の合唱祭で、ピアノ伴奏を買って出た私は、本番で楽譜の記憶がぶっ飛んだ。演奏を止めてしまった。しかも、クラスは優勝し、その曲をまた歌うということでもう1回チャンスが巡って来たのに、また全く同じところで楽譜の記憶は飛んだ。昼休みに練習したのに。全校生徒や保護者数百人の前での失態は、いたたまれなかった。本当に。

音楽って、失敗がわかりやすくて、その分「結果が出てなんぼ」なものな気がしている。
それこそマラソンなら、本番で思うようなタイムが出なかったとしても、練習など本番に至る過程にだって価値があったと、挑戦したことに価値があったと、多くの人が思うんじゃないか。
だけど、私のピアノの失態も、小渕さんの国歌斉唱も、失敗としてあまりにもわかりやすく、どんなにその過程を鑑みようとしても五感が受け入れない。みんながそうかはわからないけど、少なくとも私はそう。

だから、今回小渕さんが「限界のキーに挑戦」した上での結果だとしても、歌に関しては、「チャレンジ自体が素晴らしかった」とは手放しには言えない気がしている。

そして、音楽って論理的に聞くのは専門家くらいで、多くの人が感覚的に「わあ、この歌良いな」「これはあんま好きじゃない」と判断している。

だから、小渕さんの不調を私が「聞きたくない」と思うなら、それが全てだとも思う。良いじゃんそれで。それが私の付き合い方なんだ、って。 

だけど、応援してないわけじゃない。本人が一番、悔しくて恥ずかしくてたまらないことだって理解できる。そして、良い意味で失敗をも晒して、自然体であろうとする小渕さんを、心底尊敬もしている。私だってそうありたいのに、できないから、こんなに葛藤しているんだと思う。

今まで私は、人生でうまくいかないとき、満足いかない時は本当にコブクロに助けられて来た。コブクロが作る空間が居場所で、私を受け止めてくれたから、生きてこれた。本気でそう思う。

だけど、人生がうまく回ってるようなときや、2人が不調な時はコブクロから離れるような、そんな付き合い方をして来た。これからもそういう、ある意味都合のいい付き合い方をするのか、適度にコブクロの音楽を楽しみながら人生も充実させていくのか。そんなことも、問われている気がしている。

 

東京オリンピックコブクロの国歌斉唱が見たい」と、思いたい

このことを記事で書くつもりになったのは、昨日、愛聴している深夜ラジオで伊集院光さんがMGCのレースや小渕さんの国歌斉唱を話題にして、自分がもやもやしているということを突きつけられた気がしたから。

しかもそこで伊集院さんは「こうなったら、東京オリンピックコブクロの国歌斉唱、見たいよね」というように言ってくれて、ファンとしてはもう、万感でした。そんな風に思ってくれる人がいるんだ、という感動と、そんな2人の姿想像しただけで鳥肌たったしなんか泣けてしまって。こんな想像をくれただけでも、ありがとう、っていう気持ち。まあ、伊集院さんは、「(こんなこと思うなんて)老けた」って言ってたけど。笑

そして私も、こんな「次の機会を与えたい」と思う境地に至りたい、と思った。
でも、一つひとつを大切にしてるから、自他に厳しくなっちゃうんだよなあ、とも思う。良くも悪くも。一つひとつを大切にしていること自体は、あんま否定される筋合いはないのかな、と思う。だけどそれで生きづらくなってるなら、ちょっとは考え方を変えたいとも思う。

この11年、中学生の時からコブクロと歩んできたし、これからもずっとそうありたい。そして、小渕さんのあり方に対して思うことは、きっと、自分を生きづらくしている要因でもある。そう感じているからこそ、こんなに葛藤して、乗り越えなきゃいけないように感じているんだと思う。

 

きっと小渕さんにとって一番良いのは、そこまで緊張しない規模感のライブで気楽に歌うこと、だと思う。だけど、ドームでもライブをやるくらいだから、莫大な需要がそれを許さないんだろうなあ。

本当に、どこまで書いても、「でも、」と続けたくなる、迷宮的話題でした。笑

 

追記:この記事を書いてから考えたこと

後日、コブクロの2人の“挫折”から生まれた曲やストーリーに力をもらってきたことに思い当たって、「このおかげで良い曲できるんじゃね?!」と思えるようになったので、その気持ちを書きました。↓

mizukifukui.hatenablog.com