ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

1912年のアメリカに、今もある普遍的な課題を見る。小説「パンとバラ」感想。

先日久々に読んだ小説に続いて、親から借りた似たテーマの小説を読みました。それがこちら、「パンとバラ」。

パンとバラ: ローザとジェイクの物語

パンとバラ: ローザとジェイクの物語

 

先日読んだ「木槿が咲く花」と、原文が英語なことは同じ。しかし内容的に、結構「英語から訳しました感」が強く、若干読みづらさはありました。英語で読みたくなった。

でもストーリーは面白かったし、色々考えさせられることもありました。内容や感想を紹介します。

 

あらすじ・登場人物・作品の背景

  • 題:「パンとバラ ローザとジェイクの物語」
  • 原題:Bread and Roses, Too
  • 著者:キャサリン・パターソン
  • 日本語版は2012年出版

舞台は1912年のアメリカ。北東部の、ボストンがあるマサチューセッツ州。ローレンスという町の紡績工場で、ただでさえ安い賃金の値下げに対抗するために、労働者によるストライキやデモが行われました。

工場で働くのは、ヨーロッパ諸国や中東など世界から集まってきた移民たち。全米の関心や支援を受けた2ヶ月間のストの間、イタリアからの移民一家の娘ローザと、アメリカ育ちではありながら貧しい暮らしをする少年ジェイクそれぞれの視点と、のちに交わる二人の生活を描きます。 

この運動は実際にあったもの。この最中に歌われ始め、のちに運動の呼び名ともなった歌「パンとバラ」を小説の名にも冠し、具体的な由来はわからないその歌についても物語が展開されています。

ちなみに、パンは生活・身体に必要なものの象徴、バラは文化・精神に必要なものの象徴として描かれています。日本語や英語だとやや語呂が悪いですが、イタリア語だとpane e rose(パーネ・エ・ローゼ)と良いリズム感の言葉になります。さすがオペラの本場の言葉だけあります。

主な登場人物はこちら。

  • ローザ:イタリアからの移民。学校では優秀生。母(マンマ)と姉アンナは紡績工場で働く。父が亡くなり、さらに厳しい生活を強いられる。リトアニアからの移民一家と同居している。
  • ジェイク:アメリカ育ち。酒浸りで暴力を振るう父が唯一の家族。生活のため紡績工場で働いている。

 

小さいながらに家族を思う主人公たちに共感

先日読んだ「木槿の咲く庭」もそうでしたが、13歳くらいでまだできることが少ない中、家族を思う主人公たちに共感しました。

例えば、ジェイクは教会で、当時の彼にとっては大金の50セントをもらいます。それがあればしばらく生活していける、という金額なのに、ジェイクはそのお金のほとんどを使って父にあげるウィスキーを買ってしまいます。

会えば暴力を振るってくる父なのに、それでも父を思う気持ちがあるジェイクの心中は複雑だし、きっと今の日本にだって、そんな子や家庭もたくさんあるんだろうと想像しました。

ローザはとても家族思いで、母や姉がデモに参加して捕まったり撃たれたりしないかと心底心配し、怖がっています。でもその思いにまともに請け合ってくれない様子の母たちに「理解できない」という憤りを抱える様子に、とても共感。

私も、ローザほどではないけど似た経験があるし、例えば「千と千尋の神隠し」の冒頭の場面とかも、千尋が「やめようよ」と言うけど親は「大丈夫だよ」とか言って進んでいく、というのも同じ感じですよね。

また、学校では「ストは良くない」と先生に教わりつつも、家ではストなどの運動に息巻く母たちを目の当たりにし、狭間で揺れる気持ちも、とても共感しました。

小さい頃は家のことが基準だったかもしれないけど、年齢を重ねていくにつれ家の外の、他の考え方にも触れるようになります。その狭間で、徐々に“自分の価値観”を形成していくわけですが、その過程にある感覚を久々に思い出しました。

 

「移民」から「アメリカ人」になるということ

アメリカは「移民の国」だとよく言われるから、「移民」であることと「アメリカ人」であることは、それほど違わない気がしていました。

だけど、作中のローザのこの語りで、その違いがなんとなく理解できた気がします。

あたしはアメリカ人になるんだ。教養のある、礼儀正しい、尊敬されるアメリカ人。軽蔑される移民の子どもじゃなく。大きくなったら、名前も変えて、本物のアメリカ人と結婚し、本物のアメリカ人の子どもをもとう。p100より

特にこの時代は、アメリカで生まれ育った「アメリカ人」と、他国から来た当事者である「移民」には、文化や境遇の違いがあったようです。

舞台となる紡績工場で働く人々は、ほとんどが移民。共通言語として、なんとか片言の英語でコミュニケーションを取って、年配の方など英語がわからない人にはわかる人が通訳します。そして一方で、出身国によって集まる拠点となるホールがあります(町内会館や公民館みたいな感じ?)。そんな様子もふんだんに描かれていますが、日本語訳でそのコミュニケーションを再現するのはなかなか難しかった模様。想像で補うしかないです。

ここで言われる「アメリカ人」は、数代早くアメリカにやってきただけなのに、遅れてやってきた「移民」の労働力を搾取しています。これって、まさに今もアメリカで起きていることですよね。アメリカでは時代を超えて普遍的な課題なのかもしれません。

 

権利を獲得した先人のおかげで今がある。今の世界のデモを思う。

物語の普遍性は、ストライキやデモで権利を勝ち取る」ということにも感じました。

今も世界各地で、デモが行われています。香港ではこの数ヶ月とても大きな運動が起きているし、中東(今はレバノン、イラン、パレスチナなど)や南米などでも大きなデモが行われているようです。

ニュースだけを見ていると、実際その動きに参加している人たちの思いや、その周辺の人の生活までは想像が及びません。だけど今この物語を読んだことで、特に運動に積極的に参加しているわけではない人でも、個人の葛藤や生活の変化があることがとても腑に落ちました。

いま日本では投票率も低いし、デモなどもそこまで大きな動きになりづらい国です。でも、少しずつ勝ち取られてきた権利の上に今の生活があります。

働いたらそれなりの賃金がもらえたり、選挙が行われて投票できるのも、当たり前じゃない。もちろん今も改善の余地はたくさんあるわけですが、この物語の時代や、今の世界の動きを見ていると、先人に感謝しながら権利を生かしたいと思います。

 

暴力を振るう側も、恐れているということ

また、とても共感して印象に残った部分がありました。デモの混乱から疎開することになったローザと、一緒に来たジェイクを預かった、イタリア人老夫婦・ジェルバーティさんたちの会話です。

「女や小さい子どもをなぐったり、赤んぼうをマンマからうばっていったり。そんなおそろしいことするの、どんな人たち?」
「おそれている人たちだ。おそれると、人はおかしくなる。」
「なんでこわがるんですか?」サルがいった。とうとう食べるのをやめて、注意をむけた。「警察はみんな、銃をもっているのに。」
「こうした闘いに、銃では勝てない。」ジェルバーティさんが胸をたたいていった。「心だ。心を強くもつことだ。」
p274

ここよりもずっと前の場面でも、デモを鎮めるため派遣された学生たちが、銃を持ちつつ怯えている様子が描かれていました。

「暴力を振るう側も恐れている」というのは、私が前から思っていることではありますが、この場面を読んでさらにその確信が強くなりました。その恐れを手放せたらなあ、と、個人レベルでも、国レベルでも、思います。

 

ひらがなが多めだったり、漢字にルビがふってあることも多く、10代から幅広い世代が読める小説です。機会があればぜひ。

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