目を閉じても、見える光。
うまく言えないけれど、「光」って、外で浴びるもの・電気があるから起きるものであって、少なくとも自分の中にあるなんて思ったことはなかった。
目を閉じてしまっても聞こえるのが、音楽。
大好きなコブクロの最新アルバム「TIMELESS WORLD」の初回限定版には、学園祭でのライブがまるごと収録されたDVDがついている。
そこで歌われた「光」について、MCで小渕さんはこんなことを話している。
この「光」は、音楽のあり方、そして夢に向かっていくときに何を思ってればいいのかな、どうすれば負けないんだろう、と思って書いた歌なんですね。今もこうして照らしてくれている光、あ、こっちに歩けばいいんだな、というのを、まだまだこれから社会に出て行く人たちは見つけていかなきゃいけないんですけど、音楽がそんなふうであればいいなと思いながら当時歌っていました。
悩んでて手紙をくれたり、「どうすればいいんだろう、小渕くん、黒田くん」なんていう高校生がいた時代。どうしよう、うーん、どうしてあげればいいんだ、もうその子は完全に目を閉じてしまってて、何も見たくないって言ってるんですね。そうすると、じゃあ光を当てたところでこっちだよってわかるのかな、わかんないんだ。そっか、目を閉じることもあるんだ。絶対夢に向かわなきゃいけないって思いすぎたらつらいんだなって思ったときに、
思ったのが目隠し鬼って目を隠されて、「お兄さんこちら」と手を叩くと、何も見えてなくても、あ、こっちなんだこっちなんだって遊びを、したことがありませんかね。僕ら小さい頃よくやってましたけど、
そうだそうだ、音だ。音楽だ。目を閉じても聞こえるのが音楽で、こっちのほうなのかな、こっちに行けばいいんだな、という歌をね、作れたらいいなーという思いがこの「光」という歌には込められていました。
(TIMELESS WORLD初回限定盤 Live at 慶応義塾大学 第57回三田祭前夜祭 2015.11.14より書き起こし)
外の世界や、目指す世界が、眩しすぎると、目を閉じたくなる。それはまさに、私がいまいる状況。 目を閉じる人に寄り添ってくれる優しさはきっと、自分たちもそんな経験をしたからあるのであって、「STAGE」で歌われた一節も、きっとつらいことがあったんだね、と想像がつく。それと同時に、あんなに遠くで光り輝いているように見える2人にもつらくなったことがあったんだ、ということに気づいて、その事実がまた聞き手の「光」にもなっている気がする。
でも いつか登りたい あの光の階段を
小さくても そこからは知らない景色が見れると今 僕はその光の中で 何を探してんだろう?
あの頃には見えなかったものが
見えるよ わかるよ でもね
目を閉じてしまうんだよ(コブクロ「STAGE」)
光は「描かない」事で描く。
小渕さんが、鉛筆でのデッサンについて書いたブログから。
そこで気づくのは、「光は描けない」ということ。
影は描けても、光は「描かない」事で描くという
なんとも不思議な事に気付きます。どんなに眩しい太陽も、まばゆいライトも
その紙の「白」より明るくは描けないんです。音楽の話。
歌詞もそう思って書いている気がします。
眩しいほどの光り輝く言葉を並べるほどに
目を閉じたくなる人もいる。そうじゃなくて、
心の機微、つまり繊細な心の影を言葉で描ければ
そこから浮き彫りになる光を、聴く人が見つけてくれる。
その人の思う光の量で、その言葉を捉えてくれる。(コブチblog「光と影」2015/09/29)
そう思って、歌を書いてたんだ。だからコブクロの曲は優しいんだ。と、すっごく腑に落ちた。コブクロの曲は、まぶしい真夏の日差しというよりも、春先の陽だまりのよう。気持ちいいけれど、そう長くは続かない厳しさもある。しっかり、次のステージへと背中を押してくれる力がある。
光と影。コブクロの曲では何度も描かれている。
影が教えてくれるのは そこにある悲しみだけじゃない
うつむく顔を上げて振り返れば そこにある光に気づくだろう(コブクロ「ここにしか咲かない花」)
想いが言葉に変わるよ 言葉が光を呼んでる
光がほら影をつくる 影で人は強くなれる
強さが優しさに変わる 優しさが出逢いを呼んでる
出逢いが道を造る この道にまた想いを刻む(コブクロ「時の足音」)
光と影は一体のもの。
そういえば、2016年のツアーで、「SUNRISE」について「朝の反対側に夜があるように、絶望や悲しみも、しっかり感じ取っておけば、その反対側にある希望や喜びもしっかり感じられる」というような話をしてくれたなあ。
SUNRISE 浴びる光の色が 今日を作り出す
STARLIGHT 海の向こう側で
明日を描く星に 光届ける
SUNRISE FOR STARLIGHT(コブクロ「SUNRISE」)
「君の求める光は、君自身の内にある」
この言葉に出逢ったとき、胸を打ち抜かれたような衝撃が走った。外が眩しくて目をぎゅっと閉じているのに、暗いのは外だ、光はどこにあるんだと、光を外に求めて、外にばかり期待して、内にあるものと向き合えないまま、暗闇の中でもがき続ける自分を、見透かされたような気がした。外に対しても内(自分)に対しても目を閉じたままもがいてもしょうがないんだよ、と言われたようだった。
と同時に、体から力が湧いてくるような感覚もあって、心が軽くなった。この人のブログは、身を軽くしてくれる力がある。あなたにも力がある、という、プラスの考えにも転換できるのは、きっと、「信頼」の力なのだろう。