ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

生きる罪悪感と無力感と、それでも生きる理由。

去年から、自分の心理について色々思索するようになって、ようやく、こんがらがっていた糸が解け始めたような気がしている。「なぜこう思うのか」というのを探っていくと、私の場合たいてい「罪悪感」にぶち当たる。

「自分は悪い」「すべては自分のせい」という感情が芽生えたときに「それならば、自分は罰せられなければならない、罪を償わなければならない」と思います。
それが罪悪感です。

カウンセリングサービス■心理学講座「罪悪感の心理学1〜罪悪感とは?〜」

罪悪感を抱えていると、2つの真逆に見える態度がうまれる。

  • 外に向かって攻撃的になる…自分が正しい、相手が間違っている。自分は悪くない。
    →相手を責める言動をしてしまう
  • 自分に向かって攻撃的になる…自分が悪いんだ、と全部背負い込む
    →自分を責める言動をしてしまう

どちらかの人もいるだろうけど、私はどっちもあるなあと思う。

外に向かって攻撃的になるのは、「自分が悪い」=「相手も自分のことを悪いやつだと思っているに違いない」=相手が攻撃してくるかもしれない=防衛のために相手のせいにして責める、 みたいな恐れからきている。

*自己攻撃*

また、先のお話にもあるとおり罪悪感があれば、必ず自己嫌悪・自己攻撃が生まれます。
私が悪いわけですから、幸せになることなんて許せません。
ですから、何かうれしい話、幸せな出来事があったとしても拒絶したり、疑ってしまったりします。素直に受け取ることができなくなってしまうのです。
一方では「自分は罰を受けなければならない」と思っていますので、積極的に自分を罰することもあります。次の補償行為のお話にも繋がってきますが、わざわざ選んでしんどい思いをしてみたり、そんな状況に身を置いてみたり、自分をどんどん幸せから遠ざけようとします。
罰を受けなければならないんだから、人に傷つけられて当然と思います。

カウンセリングサービス■心理学講座「罪悪感の心理学1〜罪悪感とは?〜」

「自分が悪い」と自分を責めるようになると、いろんなことが起こる。罪悪感を持っている対象から距離をおいたり(逃避)、つらくても罪を償おうとして行動したり(補償行為)。

また、罪悪感を抑圧したまま抱えていると、責められるようなことをしてしまうようだ。「自分が悪い」と思っていると、本当に「自分が悪い」と思わせられるシナリオを選んでしまう。そうして、「自分が悪い」ということを信じていくことになる。

遅刻を繰り返してしまって癖のようになってしまっている人は、言い換えると、無意識的に、癖になるほどに責められることを必要としているということができます。
もちろん意識上には全くありませんが、それだけ「お前が悪い!」と責められたいのです。

カウンセリングサービス■心理学講座「罪悪感が作り出す罠(2)〜“責められる/責める”が増える〜」

私は今までずっと、こういう罪悪感の悪循環にはまり続けている。

 

いつから罪悪感をもって暮らしていたのだろうか。

いつから、何に対して罪悪感のようなものを持ち始めたのか。まず思い当たるのは、先日も書いた「お金を使う罪悪感」だ。

わざわざお金を出してやらせてもらっているのにできない、私は金食い虫だ、という罪悪感や情けなさはとんでもないもので、お金を出してもらっている対象は変わった今でも同じことを思って毎日罪悪感につぶされかけている。

Time is more than money. - ことばあつめ。

お金はいつでも、追っかけてくる。何をするにもお金が必要なのが現状である。だから、何をするにも、罪悪感も追っかけてくる

 

そして、きっとボトルネックになっているのは、家について。もともと広くないマンションの一室。小学生の頃は、父が独身時代にひとりで住んでいた頃からある大量のモノに囲まれて、勉強机が片隅におかれているような部屋に多少なりとも息苦しさを感じていた。

そして私が中学に上がった頃、その部屋をちゃんと私の部屋にしようということで、部屋を埋め尽くしていたモノがリビングの隣の和室に移動した。私は一人部屋を手に入れたが、小さい頃は遊んだり寝たりしていた6畳の和室がほぼ埋まってしまったことが悲しかったし、いらだった。その1年後くらいには家の水回りのリフォームのため、またモノの移動がおき、リビングも狭くなった。今思えば、「私のせいで家が狭くなっていく」ような感覚を覚えていたような気がする。

https://www.instagram.com/p/BN4nBS9hByw/(家中がモノだらけだと頭の中もカオスになる。これは自分の部屋だけど。)

結局何もできなかった、無力感。

でも逆に、親に対してもいろんな憤りを感じていた。私は小さい頃からさんざん、父にモノを片付けてほしくていろんな提案をしてきたが、私が思うようにはならなかった。母にも色々言ってみたが「私もさんざん言ってきたけど聞かないから、しょうがないよね」みたいな答えしか返ってこなくて、「しょうがないってなんだよ」とひとりで怒っていた。現状を変えられない無力感が残って、次第に私も何も言えなくなった。そして、「家が狭くて汚いのは誰のせいなんだ」と時々思ってはいらだったりもした。

無力感というのは、自分を責めるという点では罪悪感とかなり似ていると思うし、「なにもできない、いる意味がないのにいる罪悪感」とでも言えると思う。

高校のときには、母方の祖父が亡くなり、東京で祖父と一緒に住んでいた母の姉夫婦は、大きくて立派だったその家を取り壊して、小さめの新築の家を建てることにした。私はその家に頻繁に行っていたわけではなかったが、欄間や梁が立派で、玄関の高さが大人用の椅子くらいある伝統的な日本建築が大好きだった。そこは母の実家でもあるから、母もできれば壊してほしくなかったようだが、実際にその家に祖父と一緒に住んで世話をしていた姉夫婦を説得するなどはできなかったようだった。母が言えないなら私も言えなくて、「ああ、守れなかったな」と、思った。

私はいつからか「人を家でもてなす」ことに憧れている。だから、狭くてモノだらけの自分の家に人を呼べないこと、そして憧れを叶えるためあてにしたかった祖父の家も失ったことは、未だにふと思い出しては悲しく、悔しくなる。

人を変えるのは難しい、ということにようやく気づき始めた最近だが、理想を求めて、人をも変えていくくらいの気持ちでなければ、何ができるんだ、意味がない、とも思う。

 

罪悪感と無力感の中で、支えになっているもの。

もはや「生きることに罪悪感と無力感を覚える」くらいの私が、時にぼろぼろになりながらも、今もなんとか生きているのは、なぜだろう。

中学生くらいになると誰しも「何のために生きてるんだろう」というようなことを考えたりすると思うが、私もそうで、色々そのときなりに考えたように思う。それでなぜか、「生まれたものは、生きねばならない」ということをうっすらと感じ、半ば絶望した。

 

そして、この命を今のところ最終的に支えてくれている出来事は、上記でも書いた祖父の死だと思う。私が高校1年生のときの夏休み、入院していて、もう”そう長くない”祖父の見舞いに行った。母と電車を乗り継いで行った。心拍数はこの1週間120くらいのままだというし、足の壊疽が始まっていた。それでも生きているということに驚いた。こんなに速く動く心臓もいつか止まってしまうなんて、信じられなかった。

でもそのときはすぐ訪れた。帰りの東海道線(今はもうない、全面オレンジ塗りの古い車両だったのを覚えている)で母の携帯が鳴り、祖父の心臓が止まったと知らせが入った。ドラマのような展開に困惑した。祖父のいた場所を私たちが去って3時間後に、祖父は息を引き取った。

唯一の孫だった私が待たれていたことを、瞬時に悟った。体力的にも厳しく、辛い思いをさせて私は待たせてしまったのだということは、申し訳なさすぎて受け止めきれなかった。数日間、ふとした時に号泣したり、頭を洗ったら髪が異様に多く抜けていったりと、かなりストレスを抱えた。

頻繁に会っていたわけでもなく、仲が良いわけでもなかった。認知症もあって、私はいつ忘れられるのかとばかり思っていた。そんな祖父が私を待っていたなんて信じられなかったが、きっと本当だった。

数日間苦しんだ結果、命の最期まで待っていてもらえたということに感謝できるようになった。今は知る由もなくても、いつかどこかで誰かが待っているんだと確信でき、それなら、私はできる限り生きていようと、思った。

命の最後まで、待っててもらえるほどの価値がある私なら、、
待っててくれる場所があるってわかったからには、、

私も、出来る限り、生きていたいです。


待っててくれる人・場所があるなら、生きていける気がします。

(2009年8月14日、当時某所で書いていたブログより。なんか若い。。)

この出来事がなければ、私はどこかで完全についえていたような気がする。

 

ときに、それでも、自己肯定感の低さゆえか「なんで生きなきゃならないんだ」と思うこともある。周りにはいい人ばかりなのにそう思ってしまう自分が嫌になって、また悪循環に陥ることもよくある。もともと自分の体を痛めつけたりすること(おしゃれのための我慢や、辛いもの・熱いものを食べることなど)が苦手で嫌いな私だから、死のうとする行為が怖いだけかもしれない。それでも、どっかで待ってる人がいると思って、今日も命をつないでいる。

今 君は 門出に立ってるんだ 遥かなる道をゆくんだ
誇り高き勇者のよう 風立ちぬ その道のどこかで
君を探してるんだ 誰かが君を待ってるんだ
思い描く夢のもよう いつの日にか その目に映せ

コブクロ YELL〜エール〜