ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

男女ともに知っておきたい生理の話② 生理の嫌な思い出・やっちまった話。

前回の記事に続いて、もっと知られてほしい生理の話を。女性ならいくつか「やっちまった」エピソードがあるんじゃないかと思いますが、私も色々あります。そんなエピソードをいくつか赤裸々に晒しちゃいたいと思います。

前の記事はこちら▶︎男女ともに知っておきたい生理の話。自分の生理とPMSについて赤裸々に晒してみる。 - ふーみんLABO(仮)

 

小学校:好きな人の前で盛大に漏れる

私の生理が始まったのは小学校5年生だったと思います。それ以降数々の出来事がありましたが、これが一番「やっちまった話」だと思われます。笑

小6の終わり、2/14のバレンタインで好きだった同級生に告白をかました私は、ホワイトデーに返事をもらうまで1ヶ月ドキドキしていました。その間、卒業間近の3月になって、私のクラスでは毎日席替えというイベントが行われました。そしてある日、好きな人の前の席というなかなか良いポジションをゲット。

しかしそんな日に限って、生理が来ていて、かつ、ナプキン持ってくるの忘れた。今考えれば保健室に行けばもらえただろうけど、当時の私はそんなことは全く頭になく、「つけて来た1枚で1日乗り切る」というチャレンジを自分に課すことになります。しかしその日は1日目か2日目で、経血量は多く、トイレットペーパーを挟んでも耐えられないほどに。

そして「帰りの会」の時に、挨拶で立った時には、盛大に漏れていました。タイミング的に自分で直接振り返って見れないけど、お尻全体がすごく湿っている。周囲の子の方が見てビビっただろうなと思います。自分で想像してもグロい。そして後ろには好きな人。「あ、終わった」と思ったのをよく覚えています、、

私が小学校で6年間使った防災ずきん(座布団みたいにしてるやつ)の色が赤だったので、ずきんの方の血の跡は全く目立たなかったのは不幸中の幸いでした。周りはキャラクターなどの可愛いずきんを使っている中、デザイン性ゼロの赤ずきんはずっと恥ずかしかったけど、その時だけは救われました。笑

帰りは、上着のダウンがお尻まで隠れる丈だったので、すぐに上着を着て、防災ずきんを抱えて逃げ帰りました。

その因果かわかりませんが、ホワイトデーには人づてでフラれました。。

この「やっちまった」出来事から、“子ども”の立場から先生や親たちにお願いしたいのは

  • ナプキンは保健室でもらえるということを徹底して教えてほしい
  • 生理始まった頃は周期不安定だし把握するのも難しいから、ナプキンを数枚常備させる

ということです。

 

中学校:3ヶ月生理こないと思ったら蕁麻疹

中学2年の頃、生理が3ヶ月こなかったことがありました。「面倒がなくていいけど、不安もある」という微妙な心境ながら、「若い時は周期が不安定」ってよく聞くしまあいいか、と思っていた頃。

9月頃のある日、確かまず太ももがすごく痒くなって「虫刺されかな」と強力なムヒを塗ってやり過ごしていたところ、それがおさまるどころか、全身にかゆみが広がりました。かゆみは全身に広がって、虫刺されでぷっくりしたような状態が肌の広範囲に。顔も痒くて膨れ始め、自分の顔じゃないみたいに膨れ上がってしまい、惨めで泣きそうでした。。

ちょうど週末だったので、親に連れられて休日にやっている診療所に行ってみたところ、「蕁麻疹」と診断されました。

内心「生理と関係ありそう」と思っていたら、蕁麻疹が出た数日後久々に生理が。因果関係があるかは微妙ですが、私としては何かのシグナルだったんだろうなと思っています。 

 

高校:史上最大の腹痛で倒れる→盲腸と間違われ救急車

高校2年くらいの、週末のある日、生理がきたので家のトイレでナプキンをつけようとした時、突然とんでもない腹痛に襲われました。なんとかナプキンだけつけてドアを開けて、そのまま廊下に倒れこみました。

最初はうめきつつ倒れて、両親とも家にいたのですぐ来ましたが、呼吸をするのさえ内臓が痛んで辛い、ましてや喋れない。「生理だから鎮痛薬をくれ…!」と思ったしそう言いたくても言えないし、10代の頃盲腸を経験した母が「盲腸かな?」と言っているのに「違う」とも言えない。そして「生理痛で間違いない」とも言い切れない、他の要因・病気もあるかもしれない激痛ではありました。

親は救急車を呼ぶことにしてしまい、私は「薬をくれればそれで良いはずなのに」と思いつつ、痛みで意思表示できずなすがまま。確か救急車を呼んだ後に、母に「薬飲む?」と言われ、なんとか頷き、持ってくるのを待ちます。

母が、私から見えるところにある薬を取りに行ったとき、ちょうど電話が。私としては喉から手が出るほど欲している薬。「1秒でも早くくれ」という切迫した状況なのに、母は電話に出たのです。

それだけでも「はあ?」って感じでしたが、電話の相手は私が行ってた塾のスタッフらしく、しばらく和やかに話しておりました。その態度や相手からして、「娘が激痛で倒れてんのにそっち優先かよ」「ちょっとくらい待たせても良いだろ」と内心怒り狂う私。でも痛すぎて何も意思表示できない。

この激痛に耐えるくらいなら意識が飛んでくれた方がましと思いつつ、半分くらい意識が飛んでいるのを感じながら耐えて待った時間は、とても長く感じました、、あの時母を「呪ってやる」と心底思ったことは忘れられません。そして「あの時すぐ助けてくれなかった」というのが関係のヒビになっているのも感じています。

そして電話の後なんとか薬にありつき、少しして救急隊の方が来られました。運ばれて、救急車に乗せられた瞬間、薬が効き始めたのに気づき、「あ、ちょっと痛み引いた」と思った時の、絶望感というか罪悪感というか。「生理痛で、しかも痛みが引いてきた時に救急車に乗ってるなんて申し訳ない…いなくなりたい…」と思いつつ、総合病院に到着。

病院で待ち構えていた看護師さんにも「あ、歩けるんだぁ」と言われたり、先生にもそれとなく「こんなことで救急車を呼ぶな、こういう人が増えてて迷惑」というようなことを婉曲的に言われ(まあ呼んだの私じゃないけど)、申し訳なさや屈辱感を味わいました… 

そして「座薬」の処方ということで、初めて婦人科の“あの診察台”に乗りました。座ったあと足の部分が動いて開脚させられるやつですね。痛みは薬で引いていたと言えども、ちょっと触られるだけでも痛くて、「痛い痛い」と言いながらも座薬を入れられました。ヘロヘロだったので、恥ずかしいとか思っている暇もなく、言われるがままでした。

今でも思い出すと、痛み自体も精神的辛さも思い出されていろんな意味で辛いし、母への恨みも消えませんが、こういうこともありますという紹介になったら良いなと思って書いてみました。笑

 

その他細かい「やっちまった話」

  • 小学校:分厚い夜用ナプキンをつけて体育の授業(長距離走)に出てしまい、ズボンの形がおかしく見えたのか、私が走る後ろから男子の「あいつなんか変じゃね?」という声が聞こえる
  • 中学校:羽つきナプキンのメリットを知らず、部活中羽なしナプキンで半日動いたら真ん中に寄りまくっていて、全く意味をなさなくなっていた
  • 高校:制服のスカートにちょっと漏れた→前後逆にして隠す(多分あるある)

高校までの学校生活って、時間割ががっつり決まっていたり集団行動が多かったりして、自分が思うタイミングでナプキンを変えられないことが多かった。それも「やっちまった」ことが増えた一因だと思います。

こんな幾多の困難を超えて今があります。10代の頃はまだまだ自分でもわかっていないことが多かったし、周期などもかなり不安定だったと思いますが、最近はまだうまく付き合えている気がします。これからもできるだけうまく付き合っていきたいものです。


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