ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

正しくありたい。嘘がつけない。だけど表に現れるのは逆の私。

先日書いた、「謝れない」という悩み。これのもう一つの原因を、今回は深掘りしてみます。

「謝れない」という状態は、周りから見れば「反省してない」「謝る気がない」というように見えるはず。だけど、本人としては逆に、後悔や申し訳なさ、罪悪感が強すぎて謝れない、という感覚。「言葉にしてはいけない」といろんなバリアを張ってしまっているような感じがあります。

でもその罪悪感を手放せないせいで、ずっと首元に刃を突きつけられてるような感覚もあって。

 

すぐ申し訳なくなる。

以前も書いたのですが、あらゆるタイミングで、罪悪感を感じながら生活しています。

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だから、相手からすれば「謝ってほしい」と思うような出来事が起きるずっと前から、本当は謝りたいようなことが積み重なってる。

よくある状況の例を挙げると、誰かとメールやLINEで連絡を取っていて、相手からの返信にすぐ気づいた場合。私はよく、何も考えず「後で返そう」と思ったり、「すぐ過ぎるのもアレかな」と考えてしまったりして、すぐには返信しない時がある。そういう時は後々になって、「返事が遅れちゃった」と申し訳なくなったり、「今更返してもな」とかもっと色々考えてしまう。

そうなってしまうと、1回なんとかまた連絡をつなげられても、その申し訳なさは解消されないままだから、その申し訳なさを抱えた相手と連絡を取るのがしんどくなって、連絡できなくなったりする。

これは、本当相手との関係性によるもので。「この人は私のことをちゃんと覚えている」「この人は私に時間を割いてくれる」と信じられる相手であれば問題ないことが多いけど、相手がちょっとでも忙しそうな人だったり、会った回数が少なかったり私のことをわかってくれてるか自信がない時はしんどい。ただでさえそんな関係の人と連絡を取るのがしんどいから、ちょっとでも自分が「申し訳ない」と思うようなことがあるともっとしんどくなってしまう。

自意識が小さ過ぎる時と大き過ぎる時を、行ったり来たりしている感じ。前の記事で書いた通り「私なんか忘れられてる」と思っている一方で、いざ何かあると、些細なことでも「こんなことをしてとても迷惑をかけてしまってる」と、自意識過剰な面も出てくる。そして逆に、「大事にしてくれている」と思えていても、何かの拍子に「必要とされてない」と感じて気持ちがふっと切れてしまうこともある。

 

私を苦しめる、正義感と敏感さ。

何につけても罪悪感や後ろめたさ、申し訳なさがあるのは、この数年で整理して、正義感と敏感さがネガティブに合わさった結果なのかな、と今のところは思っています。

何かと気づくことが多いから尚更、「こうしなきゃ」「してあげたい」と思う気持ちは強い。だけどそれを実践できないから、フラストレーションも溜まるし、その分だけ「できなかった」「してあげられなかった」と思う気持ちも強くなってしまう。

こないだも、カフェで隣の席の人が忘れ物をして出て行ってしまったのを、私はすぐ気づいたけど、体が動かなかった。結局、店員さんが忘れ物に気づいて、そのお客さんは5分後くらいに戻ってきて一件落着だったけど、その5分間、「私がすぐ追いかけてれば」「あの人は忘れ物に気づくかな」「お店の人はどうするかな」とか、いろんなことが心の中で渦巻いて、本当に落ち着かなかった。

自分の思う「正しいこと」や「いいこと」を実践できない理由は、「周りの目を気にしてしまう」ことが多いからかなと。良くも悪くも「周りが見えてる」ってことなのかも。先程のカフェでも「お節介かも」「突然私がダッシュしたら他の人にビビられる」「お店の人が気づきそう」「あの人もきっと戻ってくる」って瞬時に思った。まあそれは、「やらない言い訳」でもあるんだけど。

 

正しくありたいから、嘘をついて傷つく自分がいる

私は圧倒的に「正しくありたい」のだと思う。嘘がつけない。一時的に小さな嘘でやり過ごして終われるならまだいいけど、それでも心は痛んで、なかなか癒えない傷になる。そんなかすり傷が、もうすでに全身にあるような感覚。

そして、嘘をつかなきゃいけない(と私が思う)状況になったら、私は嘘を発する前に口をつむぐ。いつだって頑張って本心を言おうとはしているけど、「そんなことは許されない」と足を引きずり下ろす負の力が、言葉を奪う。

だから、「嘘をつかなきゃいけない(と私が思う)状況」が多いことが、この数年の私を苦しめている。どこかで自分の矛盾や弱さを突かれるのを恐れている。私が思う「正しさ」や「理想」からずれている状況だから、自分でもその状況を認められないし、「こんなことを言ったら相手に失望される」とか思って、恥ずかしさや後ろめたさが強くなって、自分のことを言えなくなる。

自分に正義を振りかざして、自分を傷つけているんだと思う。「これじゃダメだ」「間違ってる」と、自分を許せなくなって、自分で自分の首を絞めている。小さなごまかしであっても、“正義感のある自分”が“ごまかした自分”に裏切られたことによって、「私は嘘をついた」ということに自分で傷つく。

本当はもっと、相手にちゃんと向き合いたいし、ちゃんと本当のことを話したいのに。

そんな、人懐っこい自分も奥底にはいるんだけど、「この人にそこまで話してどうするんだ」「わかってくれないかも」「どうせもう会わなさそうなのに」とか思ってしまうから、先に心を閉ざしてしまう。心を許した人ともう会えないということに悲しくなる前に。だからその代わりに、「人懐っこい自分」は抑圧されてしまう。それも悲しい。

「本当のことを言って相手を傷つける・迷惑をかける」or「嘘をついて自分を傷つける」という二択を迫られているから、私は後者を選んでる、という感覚。本当はきっと、お互い傷つかないコミュニケーションもあるのに。

きっと、自分のできなかったことや弱さを誰かに晒して受け入れられた経験が少ないんだと思う。これも正義感の一部だろうけど、「自分でどうにかしなきゃ(orしたい)」と思うことばかりだったんだろう。それが、限界だということ。

こうやって、感情を棚卸ししながら、うまく自分とも人ともコミュニケーションが取れるようになりたいなぁ。

 

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