ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

映画「主戦場」の感想を、3ヶ月越しだけどまとめてみる。「結局、慰安婦について何が問題なの?」という方におすすめ。

川崎の映画祭で一度上映中止になったことでも話題になったドキュメンタリー映画、「主戦場」。今年4月から各地で公開されていて、私は8月に見に行きました。

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その時は感想をまとめきれなかったのですが、最近また話題になっているので、この作品をめぐる状況などちょっと調べてみたのも合わせて、感想を書いてみたいと思います。(映画の内容にも少し触れます。)

映画の公式サイトはこちら▷映画『主戦場』公式サイト

 

話題だけど、別に過激ではない。

映画の主題は、旧日本軍の従軍慰安婦問題。日系アメリカ人である監督・ミキ・デザキさんが、問題をあまり深く知らない状況から、右派・左派の論客たちにインタビューを重ねていきます。従軍慰安婦に関する論点をいくつか整理しながら、話は進んでいきます。

www.youtube.com

私は、見に行くまで「なんか話題だし気になるけど、なんかやばそう」と漠然と思っていました。それなりに話題だから、過激だったりするのかと思い込んでいました。それでも見に行ったのは、ツイッター等で動画が話題の「せやろがいおじさん」が見に行ったとツイートしていたからです。単純。笑

そして実際見て思ったのは、「これだけ論理的でバランスの取れたドキュメンタリーってすごいな」ということ。過激さは感じませんでした。(人によっては、取り上げられている主張は過激に映ると思いますが。)

演出も過剰さはそれほど感じなかったです。Youtubeでも動画を配信している監督ならではの、観客を飽きさせない手法として「見出しの字を画面全面にドーンと出す」「和太鼓の音を随所に入れる」というのはありましたが(※参考:朝日新聞 2019年06月14日朝刊)、感情を盛り立てるようなものではなかったと思います。字幕の出し方はそれこそ、せやろがいおじさんの動画と似てるかも。

 

そもそも、訴訟の内容と反論はどんな?

「出演者が訴訟をしている」ということも、見に行った時点でなんとなく知っていました。今回川崎の「しんゆり映画祭」で、補助金を出している川崎市が上映を懸念したのも、この訴訟があったからです。

改めてどういうことになっているのか調べてみたところ、出演者5人が2019年6月19日に、監督と配給会社を提訴したということです。

藤岡氏らは、大学院生だったデザキ監督のインタビューを受けた際は「学術研究及び卒業制作のため」と説明されていたのに「商業映画として一般公開した」として、著作権や肖像権の侵害を主張している。

朝日新聞 2019.6.20 朝刊

しかし監督は、出演者がサインした承諾書の項目から、“「出演者はいずれも、映画の配給・上映の可能性があることを知っていた」と反論した”とのこと。また、上映前に出演部分の映像を送り、反論や要求がなかったため問題ないと判断したということです。毎日新聞 2019.06.20 東京夕刊)

 

問題・論点を知る取っ掛かりとして、とても良い

慰安婦については、私は「なんとなく知ってるけど、結局何が問題になってるの?」という感じでした。散々マスコミでも報道されていて「今更わからないとか言えない」と思っていたし、知りたいと思っても「どれも“偏って”そうで、何からすればいいかわからない」という状況でした。

この作品は、監督も最初は同じような関心・知識量でインタビューや調査を始めていると思います。だから、ドキュメンタリーを見ながら、監督と一緒に論点をひとつひとつ理解していくことができました。「置いてけぼり」になるような感覚にもならず、見やすかったです。まあ、情報量はそれなりに多いので、1回見ただけでは理解しきれたとは思わないですが。

なので、慰安婦の問題について「なんかよく知らないけど知っておきたい」という方におすすめ。知識を深める取っ掛かりとしてとても良かったです。

 

映画・映画館だから向き合えた、自分とは全く違う主張・世界観。

ドキュメンタリー内では日本・韓国・アメリカの30人以上にインタビューをしており、バランスの良さがとても印象に残りました。「こんな人がいるんだ」「こんな人の話が聞けたのか」と発見や驚きもたくさんありました。

正直「この人何言ってんの?やばいな」と思う主張をする人もいたし、私にとっては不快な言動が映る部分もありました。こうやって不快に思われそうなことを排除せず見せているというのが、この映画のすごいところ。そもそもその“不快”の基準も人それぞれですしね。

そういう人がいるとはなんとなく知っていたけど、マスメディアでは基本扱われない主張だし、私がネットでそんな主張をちらっと見ても詳しく知ろうとは思えない。そもそも、ネットやSNSの普及によって、「似た考えの人・同じ趣味の人とも出会いやすくなった」一方で、「違う考え・趣向を持つ人と出会いにくくなっている」状況があります。

だからこそ、「自分から映画を見に行ったから、その主張をまともに見れた」と思います。そしてさらに、「映画館で2時間閉じ込められて見たからこそ、まともに見れた」と思う。そうでなければ、見たくないし、聞きたくなかった。

でもそうして多くの人が拒否したり、取り合わなかったことで、「ネトウヨ」を始め世界の極右勢力も一大勢力として成長してきた一面があるし、対話もできなくなってきてる。

報道などで「なんかやばいらしい」と間接的に知っていた(ある意味レッテル貼りしていた)人の主張に、改めて「その人が語る姿」を見ることで対峙できました。もちろん、映像だって編集はされていますが、比較的各々の主張をしっかり取り上げていると思えました。これを見て「やっぱりやばい」と思うのか、「そういう言い分もありだな」と思うのかは自由。議論のきっかけにしたい作品でした。

 

映画を見るまで知らなかったこと

この映画を見て初めて知ったことはたくさんあったのですが、その中でも印象的で覚えていることをいくつか紹介します。

 

「平和の少女像」のメッセージ

マスコミなどでは散々見てきた「慰安婦像」。そもそもこの呼称も日本独自のもので、本来「平和の少女像」に込められたメッセージなどにも、初めて触れました。

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2019年7月に行った韓国旅行でも時々見かけた像。これは板門店ツアーで行った臨津閣(イムジンガク)にて。

椅子に座った少女と、同じ椅子が隣にある、という像。この椅子に座ってみることで、少女の視点に立とうというメッセージを知り、共感しました。「ああ、そういう意味だったんだ」と、納得できました。

そもそも「戦時中の女性の人権侵害があった」「性暴力は良くない」ということを残し訴えているだけの像が、なぜ“いわれもないことで日本を責めている”ような感じで語られているのか、疑問に思いました。

 

アメリカでも「平和の少女像」に関して議会が紛糾

「平和の少女像」はアメリカでも建てられています。映画でも、ある自治体の議会で、反対する人たち(歴史家に言わせれば証拠が不十分な資料に基づいて反論する、主に日系人と賛成派の人たち(韓国系の人たちや人権派の人たち)で議論が紛糾する様子が取り上げられます。

アメリカでの像の話はなんとなく知っていましたが、こんな議論が繰り広げられていたとは全く知りませんでした。

 

ベトナム戦争での、韓国軍の“慰安所”の存在

主に保守派の論客の方達が、「韓国軍も、ベトナム戦争中にベトナムで“慰安所”を設けて現地の女性を連行した」という話を取り上げます。

保守派としては、言っちゃえば「自分のことを棚に上げて日本ばかり責めるな」ということのようですが、他のある方は「日本軍の悪しき慣習が韓国軍にも受け継がれていたと考えるべき」と指摘していました。

私はベトナム戦争でそういうことがあったということも全く知らなかったので、この件についての議論は全て新鮮で驚きがありました。

 

日本の「恥」の感覚+自己肯定感のなさ=反省できない

映画をみて改めて思ったのは、「自分の過ちを指摘されて「人格否定された」と思ってしまう未熟さは、人ひとりにも、国にも同じくある」ということ。

私は子どもの頃、ピアノを習っていて、レッスンでうまく弾けなかったり、先生に「さっきはこうだったから、今度はこうしようね」と言われるだけでいつも辛くて、涙を堪えていた。うまくできない不甲斐なさや恥ずかしさが強くあって、もっとよくなるアドバイスのはずが私の存在の否定のように聞こえていたんだと思います。

日本は「恥の文化」があるとも言われますが、「不甲斐なさや恥ずかしさを覚える状況」にとても敏感で、とてもネガティブに捉えているんじゃないかと思います。だから、何か指摘されただけで自分のことが全部否定されたように思ってしまう。こういうのって、日本ではよくあることだと思います。少なくとも私は今でもよくあります。

また、自己肯定感がないから起きてしまうことでもあると思います。自分の存在をポジティブに思えていれば、「この人は自分のことを全面否定しているのではない」「今悪かったのはここだけだ」と思えるけど、自分の存在にネガティブだと「自分の全てが悪い」という思考になるし、「傷つけられた」と思ってしまう。

「日本人は議論が苦手」と言われがちなのも、このせいだと思っています。自分と違う意見をぶつけられるだけで自分が全て間違ってると思えて、辛くなったり、不安になったりしてしまう。

そんな感覚が、国の姿勢にもあると思うのです。「過ちを認めたら、国や日本文化全ての否定になる」「存在が危ぶまれる」ような感覚があるから、強がるし、加害を振り返れない。反省なんてしたらいけない。保守派の主張は、私にはそんな「強がり」のように聞こえました。

 

機会があったらまだ何回でも見直して、他の人たちと議論もしてみたい映画でした。映画祭でなくても、ミニシアター等での上映もあるので、ぜひ見てみてください。

 

そしてこれからもう少し理解を深めるために、ある新聞記事で勧められているのを見た、こちらの書籍を読んでみようと思っています。読んでいないのでおすすめとも言えないけど、参考までに。

見終わった方にぼくは朴裕河(パクユハ)著『帝国の慰安婦』を読むことをお勧めする。「主戦場」は映画としてよくできているがあくまでもレポートであって、論理の骨格に欠ける。それを補うのにこの本は役に立つ。両国と諸勢力を公平に扱って、感情的になりがちな議論の温度を下げ、明晰(めいせき)な構図を与えてくれる。

朝日新聞 2019.7.3朝刊 「(終わりと始まり)映画「主戦場」 慰安婦語る口調、言葉より雄弁 池澤夏樹

帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い

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