映像で語られる生命の美醜と、“女性の価値”。ベトナム映画「第三夫人と髪飾り」感想録。
先日初めて東南アジアで製作された映画を見て、もっと色々見てみたいなと思っていたら、ちょうど地元のミニシアターでベトナムの映画をやっていました。
19世紀のベトナム北部を舞台にした、「第三夫人と髪飾り」。鑑賞しての感想や内容を紹介します。
あらすじ
この作品がデビュー作となる、アッシュ・メイフェア監督の曽祖母の話がもとになっているそう。19世紀の、ベトナム北部・チャンアンが舞台です。
大地主の裕福な一家に、旦那の第三夫人として嫁いできた14歳のメイ。第一夫人には年頃の息子が一人、第二夫人には娘が二人いる。
旦那や夫人たちに、生活や性の手ほどきを受けながら、やがてメイも妊娠するが、息子を生まないと「奥様」と認められない慣習を知り、どうか男の子が生まれますようにと願う。そんな中、第一夫人の妊娠や、第二夫人の不倫を知る。
セリフは最低限。映像美を堪能する作品
映画を見ていて抱いた第一印象は、「映像が美しい」ということでした。春の日差しのような柔らかな明るい画面に、趣のある邸宅や美しい伝統衣装、険しいけれど美しい山並みなどが映し出されます。
このような独特な映像の作り方は、美術監修を手がけたトラン・アン・ユン氏の影響ではないかと思います。ベトナム出身で、ベトナム戦争後亡命のため12歳からフランスに住んでいる映画監督。村上春樹の小説が原作の映画「ノルウェイの森」の脚本・監督でもあります。
私は彼の作品を見たことはありませんが、雑誌TRANSITのベトナム特集でインタビューなどを読みました。
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そこでは、デビュー作「青いパパイヤの香り」は「官能的なまでの映像美でベトナムの日常が描かれる」(p66)と書かれており、この作品からもまさに「官能的なまでの映像美」を感じました。
また、インタビューではこう語っています。
私の美学的な視点は現実主義ではありません。私が撮りたい映画は、日常生活をドキュメンタリー風に映し出すのではなく、自分の追求する美しい世界観をつくりあげること。それは芸術の真実であって、日常生活の現実とは違うのです
上記p68より
そんな独特なトラン・アン・ユン氏の画面作りが、きっと間接的にも直接的にも影響したのではないかと思います。
そして、物語の内容も、映像によって多くが語られていきます。「こんなにセリフが少ない映画って初めて見たかも」と思うくらい。数分セリフがないまま、映像が進むこともありました。だから、ぼーっとしているといつの間にか話が進んでしまいます。
脚本としても、大きな展開はありません。どうなっちゃうんだろう?と先が読めないストーリーの筋はいくつかありましたが、スピード感があるわけではないので、結構集中力が求められるな…と思いました。
生活・命に宿る、美しさとグロテスクさ
「映像が美しい」と思わせられたのは、夫人たちを演じる女優陣の美しさも一因でした。そして、妖艶でもあり。まさにアジアンビューティー。
その美しさや妖艶さと切り離せないのが、他の生き物の命についての描写と、性の描写でした。
随所で、共に暮らす生き物たちの命の始まりや終わり、その移り変わりが映し出されます。飼っている動物が出産したり、亡くなったり。鶏を屠ったり。蚕が成長し繭を作るまでの様子は何回か登場して、季節や時の経過も語っていました。
普段肉を食べていても、それが生きていたことを実感せずに暮らせてしまう現代。本来はそこに伴うグロテスクな部分から遠ざかってしまって、想像力が及ばなくもなるけれど、本当はこういうことなんだぞ、と突きつけられているようにも思えました。でもそんなシーンも美しく映されているから、「生活の一部」として見ることができました。
そして邸宅で暮らす人間たちの、性の模様。旦那の夫人たちが夜に三人で話しているシーンや、メイが禁断の不倫を目撃してしまうシーンなど、メイがこれまでは知らなかった世界に晒される模様は、なかなかエロかったです。直接的なような、ギリギリ間接的なような性描写には、美しさも、グロテスクさも感じました。
また、第二夫人の長女に初潮がくる場面を描いていたり、メイの初夜の後、血が付いた布団のシーツを外で掲げて披露する儀式のようなものがあったりもしました。
性のことは、タブー視されて遠ざけられたり、逆に快楽のため求められたりしがちですが、新たな命が生まれるには必要なこと。こういう、命に関わることの、グロさと美しさの共存を見事に描いていたと思います。
「女性の価値」とは
この作品に通底するテーマとして、考えさせられたのが、「女性の価値」について。
女性は性的に男を喜ばせ、後継ぎになる息子を生むことが求められた時代。その要求を満たせなかったら、「価値がない」と自他に責められ、追いやられていく女性たち。
第一夫人の息子に嫁入りした子の父が、初夜に触れられさえしなかったと聴き「女の唯一の役目も果たせないのか」と娘に言い放つシーンが印象的でした。
妊娠することも、無事に出産することも、現代だって当たり前のことではない。昔はそれに加えて「息子を生む」という使命まで女性に課されていた。求められる女性像を実現するのはかなり難しいなと感じました。だからその分、プレッシャーや辛さを抱える女性もたくさんいただろうと想像します。
この映画は19世紀のベトナムの話かもしれないけど、こういう価値観はちょっと前まで普遍的にあったと思うので、あまり他人事として見れず、女性としては辛いなあと、ずーんと重い気持ちになりました。
私の母も、「男だったらよかった」みたいなことを親に言われたことがあるそうだし、それこそ今の皇后さまも、男児を生まないということでプレッシャーがあったと、どこかで読んだ覚えがあります。こうして、この問題が今でも通じてしまう話なのが皮肉です。
この映画はまさに、今までに見たことのないタイプの作品でした。美しい映像を中心に見応えもあり、映画の奥深さ・アプローチの多様さに触れる機会になりました。
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