10代の兄妹とともに、戦時中の5年間を駆け抜ける。小説「木槿の咲く庭」感想。
先日、久々に小説を読みました。
母が読書家なので、たまに何か読みたいときは母に頼んで何冊か選んでもらい、借ります。そうして借りておいて、すぐ読む気にはならずしばらく放置していた本があり、久々に何か読みたい気分になったので見てみました。その数冊のうちの1冊がこちら、「木槿の咲く庭」。
帯を読むと、「日本統治下の朝鮮」という言葉。しばらく置いていた間に韓国にも行って、韓国が捉える近代史も博物館で少し理解したから、ちょうど良いタイミングで再び出会えてピンときました。
読み始めるととても読みやすくて面白くて、2日で読み終わりました。内容や感想を紹介します。(ほぼ、ネタバレなしです)
- あらすじ・登場人物・作品の背景
- テーマは重そうに見えるけど、軽やかに読める。
- 言葉も文化も、花さえも奪おうとした愚かさ。
- おまけ:韓国で感じた、「朝鮮半島は日本だった」事実の重み。
- まとめ:ティーンにも、韓国好きにも、そうでなくても、おすすめ。
あらすじ・登場人物・作品の背景
- 題:「木槿(むくげ)の咲く庭 スンヒィとテヨルの物語」
- 原題:“When my name was Keoko -a novel of Korea in World War Ⅱ”(私の名前が清子だった頃 第二次世界大戦中の朝鮮の物語)
- 著者:リンダ・スー・パーク(韓国系アメリカ人)
- 日本語版は2006年に出版
1940〜45年、日本統治下の朝鮮半島の南東部、大邱(テグ)郊外の町に住む家族。朝鮮人も日本語の名前を名乗らなければいけない法律(創氏改名)が制定された頃から終戦まで、妹のスンヒィと、兄テヨルの視点から交互に進む物語です。
主な登場人物である、キム家(日本名:金山)はこんな感じ。
- スンヒィ:10歳。日本名・清子。日本人の隣人・友(とも)君と仲良し。
- テヨル:13歳。日本名・伸男。のちに叔父さんをかばうため志願兵になる。
- 叔父さん:兄妹の父の弟。印刷屋。のちに抗日運動の新聞発行に関わる。
- 父(アボジ):小学校で教頭として働く。
- 母(オモニ)
訳者あとがきによると、著者の両親は朝鮮出身で、著者の母こそ、戦時中は“金山清子”と名乗っていたそう。他にもいろんなエピソードが、親から聞いた話を元に物語の中に込められています。
テーマは重そうに見えるけど、軽やかに読める。
舞台になっている場所や時代は、日本人としては特にとっつきにくいかもしれません。原題がそのまま日本語題にもなっていたら、重い印象になっていたでしょう。
でも中身はそんなことはなくて、10代の主人公たちの語りで進んでいくので、とても読みやすいです。10ページもすれば章の切れ目がある(語り手が変わる)ので、長い時間が取れない時でも読みやすそう。
また、スンヒィの親友が日本人ということで、「日本人=絶対悪」というような印象は受けず、なんだか安心もしたし、物語に深みが出ていました。この設定は、著者の母の実話に基づいているそう。
この物語は、日本語題の通り「スンヒィとテヨルの物語」であって、2人の青少年の成長記です。普遍的な、子どもなりに家族を思う姿や、親との関わりの変化が描かれていました。
等身大な2人の姿に共感したり、一緒にハラハラしたり。思わずどんどん読み進めてしまうほど、引き込まれました。まさに、兄妹とともにこの時代を駆け抜けるような感覚でした。
言葉も文化も、花さえも奪おうとした愚かさ。
そんな普遍的な物語でもありつつ、一方で当時のリアリティある描写や場面もたくさんありました。
最初の「創氏改名」ももちろんそうだし、家以外では日本語で話さないといけなかったり、朝鮮の人にとって象徴的な木槿を切り倒させられたり。
歴史的な事実としては知っていたことでも、それによって一家族が翻弄される話として読むと、より想像が及ぶようになりました。例えば、
- 自分が、別の言語の名前を名乗らなくいけなくなったらどうしよう、と、初めて考えてみた。(名前を英語表記にするとか、ペンネームを考えるとかとは次元が違う…)
- 桜を全て切り倒せと言われたら…(近所じゃ他の理由で桜や梅の木がなくなってしまったけど、それでも悲しかった)
などなど。
戦争が、日本の“統治”(植民地化)が、普通の家族にどう影響していたのか、そして何を奪っていたのか、想像できました。
これはまさに著者のねらい通りだと思われます。訳者あとがきで著者の言葉が紹介されています。↓
「いまだにあの時代の出来事が、小さな断片のまま線や面として結びついていない」(p283)
今じゃ当然別の国・文化としてある韓国や中国に進出していって、日本の文化を強制していたなんて、本気でできると思ってたのかな、バカだなあ、と思います。
でも一方で、国の境界なんて、実際に線が引かれてるわけじゃないし、あってないようなものでもある。長い目で見たら国の形も変わりうるかもしれないけど、何にせよ、それに伴って悲しむ人がいてはいけないと、改めて思いました。
おまけ:韓国で感じた、「朝鮮半島は日本だった」事実の重み。
ついでに、7月に韓国に行った時に思ったことなど。
何ヶ所かいろんな博物館等で展示を見て強く思ったのは、韓国における近現代史の始まりは日本なのだ、ということ。
“日韓併合”があったのが1910年〜1945年だし、日本は1910年よりも前から朝鮮半島に介入していました。だから20世紀の前半は「朝鮮半島は日本だった」というのを、当時の展示物などから強く感じました。もちろん歴史としては知ってはいたものの、いざそういう展示を見ると、その事実の重みに打ちひしがれるような感覚がありました。
釜山で行った「釜山近代歴史館」の近代の町並みを再現した展示では、看板などは日本語で。釜山は特に日本と近い地理上、日本は進出の足がかりにもしてきたし、結果的に釜山の工業化と発展にも繋がりました。
20世紀より前にも、豊臣秀吉だって朝鮮半島を征服しようとしました。そんなこれまでの経緯から、朝鮮半島の人たちは「日本にいつ脅かされるかわからない」という感覚をどこかで持っているんじゃないかな、と感じました。
まとめ:ティーンにも、韓国好きにも、そうでなくても、おすすめ。
とても読みやすかったし、主人公は10代だから、主人公と同世代で読んでも面白いかもと思いました。今K-POPをはじめ韓国の文化は若い人にも人気だけど、そうやって韓国に興味ある子たちがこういう作品を読んだらどう思うんだろうなあとか、思ってみる。そんなに読まなそうだけど…
別に韓国に興味がなくても、普遍的に楽しめる作品なので、誰にでもおすすめできます。機会があればぜひ。
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