ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

刑務所で自分に向き合う受刑者たちを見守る証人になる。ドキュメンタリー映画「プリズン・サークル」感想。

先日、ドキュメンタリー映画「プリズン・サークル」という作品を見てきました。

ある新しいタイプの刑務所で行われている取り組みや、それに参加している受刑者たちを取材したドキュメンタリー。

いろんな意味で「全く知らない世界を見た」「すごいものを見た」という余韻が残る、見応えのある作品でした。内容や感想を紹介します。

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あらすじ


映画『プリズン・サークル』予告編

prison-circle.com

島根県浜田市にある、「島根あさひ社会復帰促進センター」。2008年に開所し、民間と共同で運営されているこの施設では、男性の受刑者たちが様々なユニットに分かれて共同で生活や作業にあたっています。

そのうちの一つのユニットでは、「TC(Therapeutic Community:回復共同体)」というプログラムが行われており、他の受刑者や指導員との対話を通じて、自分の過去や課題について深めていきます。そのTCに参加している受刑者数名へのインタビュー、出所者のコミュニティへの取材を織り交ぜながら、彼らの過去や気づきを追っていくドキュメンタリーです。

 

感想

TCいいな。もっといろんな人に必要。

まず何よりも思ったのは、「いいプログラムだな」ということ。時間をかけて、仲間と一緒に、自分と向き合える環境があると思えました。しかもそれが、刑務所という、“普通の生活”から切り離された環境であるのが、逆に集中できて良いなと。以前3ヶ月半乗ったピースボートを思い出しました。

他の受刑者の話を聞いたり、滞在歴の長い受刑者がカリキュラム自体を考えて司会進行役をしたりと、多角的にコミュニケーション能力やリーダーシップが身につきそうなプログラム。刑務所・受刑者だからということに限らず、誰にとっても良い学びの場ではないかと思いました。

だから、もっといろんな場所で、いろんな人に必要な環境だなと思いました。インタビューの中でも、「もっと前にこういうことしてたら良かった」というような言葉も聞かれましたが、本当にその通りだと思います。私も受けたい。学校の授業とかでも、こういったプログラムがあったらいいな。

 

受刑者たちの言葉の確かさ

TCやインタビューの中で交わされる言葉がどれもしっかりしていて、「賢い」「“自分の言葉”を話している」と思いました。

正直、「ヘラヘラした人が多そう」とか「頭が良かったらこんなところには来ないだろう」とか思っていたなと、偏見のようなものに逆に気づかされました。そして、前からなんとなく思ってはいたけれど、「罪を犯してしまう人は別世界の人ではない」とより思いました。

まあ、その話し方もTCで培われた力でもあるとは思うし、TCに参加する受刑者はほんの一握り。その分それなりに素地のある人が参加しているのかなとは思います。それでも、地の力も、TCで引き出された力も、どちらも表面的でなく根をはったような確かさを感じました。

自分の内面と向き合って、過去の傷も恥ずかしいこともさらけだして話す。自分の過ちに気づいて、涙を流す。普段の生活だったら、私も受刑者たちも受け流してしまいそうなことに、腰を据えて向き合っている。「本当の真剣さ」「清々しさ」をびんびん感じました。

言葉にできない凄みや迫力のようなものが伝わってきて、「すごいものを見てる」と何度も思ったし、自分がこれほど内省して自分の言葉を話したのはいつが最後だろう?と考えさせられました。そうすることが難しいのもよくわかるからこそ、映画に映る受刑者たちの“凄さ”をより感じたのかもしれません。

 

過酷な環境で育った受刑者たちにこそ、人間的交流が必要。

インタビューなどでの言葉と、サンドアート(砂絵)のアニメーションで再現される、受刑者たちの育った環境の過酷さがまた、印象的でした。

自分のこれまでの人間関係などを振り返る作業をする場面で、「4人目の父親」という言葉があったり、「帰る場所っていう感覚がない」という言葉に心底沁み入りつつ、半分くらい共感したり。いじめの話もよく出たし、親に日常的に暴力を受けてきた人も多そうでした。

私は性善説を信じているし、事件の加害者となった人は、大概の場合それまで何かしらの被害者だったと思っています。ニュースで凶悪犯罪について知っても、犯人については「その人なりの正義がある」「何か辛いことがあったんだろう」といつも思います。

また、私は「需要と供給のズレ(=勿体無い)」が嫌いなので、「自分に足りないものが余ってるので取った」という思考回路自体には理解の余地を感じます。実際このドキュメンタリーで語られる受刑者の言葉にも、そんな思いが滲み出ている場面もありました。

一方で、「前は自分のことで精一杯で、被害者のこととか考えられなかった」というようなことが語られていて、なるほどなと思いました。「これまでのことや自分の言い分・愚痴をぶちまけて話して聞いてもらえる環境に来て、全て出し切ってようやく、被害者のことに思いが行った」というのは、別に大きな罪を犯していなくても誰にでも当てはまること。

TCのような、名前で呼んでもらえて、目を見て対話ができる人間的交流や、安心してなんでも話せる環境は、どんな人にでも必要だし、過酷な環境で育ったのちに刑務所に来ることになった受刑者たちにはより一層、必要な環境だと痛感しました。

 

TCの環境と軍隊的規則・所作のギャップ

映像で見る限り、主にTCが行われるユニットの生活環境は、インテリアの色は明るく、清潔そうで、あまり刑務所には見えません。プログラム中は、普段はできない私語が逆に奨励されているので、休憩中も朗らかに話をしているようでした。

しかし一方で、細かな規則はたくさんあるようです。男性受刑者は皆丸刈りで、服も一緒で、点呼やお辞儀などは超キビキビしていて、まさに軍隊。食事も、出されるものを無言で食べる。そんな様子は、人間味や個性の発揮を許されていないように感じました。それこそ「罰」なのかもしれませんが。

ある受刑者へのインタビューで、「決められたことをしているだけで、償いとか、被害者のためになるのか?」ともやもやしている言葉もあり、そうだよなあと共感・納得しちゃいました。

TCを始め先進的な取り組みをしている刑務所ではあるけれど、「旧態依然」とした雰囲気も感じられて、考えさせられました。

 

「見守ってること」が伝わればいいな

このドキュメンタリーは、いわば「刑務所と社会、受刑者と私たちをつなげるもの」だと思いました。

一般的には両者は完全に断絶していて、一般の社会の人は刑務所の中身については知らないし、知らなくていい、という無意識的な排除が当然とされていると思います。でもそうやって断絶が深まることで、孤立する人が増えたり、再犯してしまう人が増えたりしている。そしてこの“断絶”は、刑務所や犯罪に限らず、社会のいろんな場所で起きていること。

ドキュメンタリーの終盤で、「見ていてくれる人、応援してくれる人がいると思えたので、撮ってもらって良かったです」ということを話している人がいました。その言葉自体は、カメラを向ける監督のことを指していたかもしれないけれど、作品として見ている私たちもまさにその「証人」になったんだ、と思わされ、「そうか、こんな効果もある作品なんだな」となんだか腑に落ちた感覚がありました。本名も顔もわからないけど、見守っていることが伝わればいいなと、願いをかけたくなりました。

こうやって、緩やかにでも繋がれる、見守り合える社会を作れたらなあと改めて思った映画でした。

 

追記

この記事のリンクをツイートしたら、坂上監督にも届きました!記念も兼ねて貼らせてもらいます。

 

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