ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

「世界は背景にすぎない」不思議な世界一周。【「希望難民ご一行様」読書録②】

昨日の記事に続いて、「希望難民ご一行様」を読んで思ったことを。特に、共感してしまった点をあげたいと思います。

mizukifukui.hatenablog.com

 

「世界」は「背景」に過ぎない

この言葉↑通りの章があったのですが、本当これはそう。他の乗船者たちを見ててもそう思っていたし、自分自身もこれは自覚していました。

私の場合は、ピースボートの船旅は初海外でも何でもなかったし、別に世界一周したいと思ったこともなかったです。ただ、船上で多様な乗船者たちと出会って、対等に・濃密に交流できる環境に、求めていた「リアリティ」を感じて乗船しました。なので、「船で3ヶ月半過ごして、気づいたら世界一周していた」という感覚。「地球って丸いんだな〜」とは思いました。

実際、乗船者もスタッフもほぼ日本人(船のクルーや英会話の先生などは外国人ばかりですが)という環境なので、船旅は世界を旅している実感は得にくかったです。一般的な海外旅行とは違い、朝から夕方など日中1日分しかいないことが多いので、現地に向かうまではもちろん、泊まるのもほとんどの場合が船内。「つまみ食い」って感じ。「暮らすように旅しよう」というAirbnbのコピーの真逆を地で行ってます。

ピースボートの旅は、若者にとっては「知るきっかけ」に過ぎません。私は正直「世界を旅する」ということは目的ではなかったので何とも言えませんが、「世界を見たい」という乗船者たちはどれくらい満足できたのかなあと思います。

 

帰国後の感覚

上記の「世界は背景」とも関連しますが、帰国後の感覚に関して「めちゃわかる!」と思った箇所がありました。

若者たちの語りから見えてくるのは、ピースボートが決して人生を変えるような劇的な体験ではなかったということだ。

(p228より)

これほんとそうなんですよね。寄港地で見たものや船上のプログラムで気づいたこと、得た感覚など、いろんなこともあるけれど、「人生を変える旅」というような言葉はしっくりこないのです。

「乗ったのは間違いじゃなかった」(p218)という話も紹介されていて、本当同じ感覚過ぎてびっくりしました。「これからの人生に絶対効いてくるはずだけど、今のところそれが何か・どうやってかはわからない」という感想を、私は帰国後しばらく持っていました。

それから数年が経ち、今思うのは、「非日常に向いていた意識を日常に向けることになったターニングポイント」だったなということ。それまで、自分の日常が嫌いだったし、生活環境にも不満ばかりで、フラストレーションが溜まっていました。だから、そんな自分や日常からいかに脱するかを考えていることが多くて、外国も日本国内(田舎)もいろんな場所に行き、いろんな人と出会ってきました。

それが、ピースボートで3ヶ月半“生活”して変わりました。主に部屋の住環境に紐づくことですが、

  • 狭い相部屋がきつすぎる。ずっと誰かと過ごすのが超疲れる。部屋で一人になれても、いつ誰が部屋に入ってくるかわからなくて安心できない
    →自分の部屋がある安心さ、ありがたさ
  • 誰かといると、何か話さないと気まずくてしんどい。一方で、静かに過ごしたい時(ほとんどそう)に部屋で誰か話していると嫌
    →会話が最低限しかない家が嫌だったけど、「無言でいさせてくれる環境なんだな」と思った

というような、私にとってはパラダイムシフト級の、「家」「日常」の捉え方の変化がありました。

「誰かと一緒に居たくて寂しいと思っていたけど、いざ相部屋で過ごすとしんどくて、そんな自分が寂しくて辛い」という状況にハワイ出港時に気づいてメンタル崩壊しかけたりもしましたが、結局は上記のような着地をしたわけです。

 

また、小学生の頃から環境問題に関心があったりした一方で、「自分の今の都市での生活・実家での生活でやれることなんてない」と思い込んでいたし、しばらく諦めていましたが、ピースボートの企画や仲間の行動を通じて「日常でできることをやる」という思考になりました。

思うに、ピースボートの文化は「一人ひとりが大切」「一人ひとりの個性を認めあう」というようなものが強いです。「一人ひとりにできることがある」と信じさせてくれる環境があります。だから、船内の活動にせよ関心のある問題にせよ、「やれることがある」と思えたんだと思います。

 

何のヒントもなく放り出される「クソゲー」の理不尽さ

※2020.3.26追記しました

ピースボートに直接関する部分ではありませんが、私がこれまで大学をはじめとする教育現場や社会に感じてきた最大の理不尽とも言うべきことが、見事に指摘されている部分があり、驚きました。

僕が「やればできる」や「夢は叶う」のような言葉に感じる違和感は、クルーズ中に見た夜の海の怖さに似ている。水平線さえ見えない夜の闇の中では、自分がどこへ進んでいるのか全くわからない。そんな中で「やればできる」と言われても、どこへ進んだらいいかなんてわかる訳がない。
何のヒントもなくフィールドに放り出され、「やればできる」と急かされる。ゲームでは、そういう作品のことを「クソゲー」と呼ぶ。
(p266より)

高校までの、みっちり時間割やカリキュラムに沿った勉強から、学ぶ内容も余暇の過ごし方もあらゆる選択肢のある大学へ。そして、そんな“自由”さから卒業し、自分を型にはめて就活をし、就職という路線。

私は、そのそれぞれのフェーズの間にある「段差の大きさ」と、それについてちゃんと教えてくれる人や仕組みがあまりない(個人の努力に任されすぎている)ことにいつも困惑し、憤り、理不尽に感じてきました。

選択の自由をちゃんと享受するには、選択肢とその選び方を知ることが必要だと思います。でもそれを体得できる場は、これまでの学校や生活であったでしょうか?なくないですか?

突然、ここでは/自分には何ができるのか、何をするべきなのかわからないのに「なんでもできる」「なんでもしていい」と言われるのは、まさに「夜の海の怖さ」と同じです。

私も著者もピースボートのクルーズ経験者ということで、「夜の海の怖さ」というのは感覚・表現的な意味でも共感できます。

そういう、何もわからない環境に置かれても、相談できる人を見つけたり、自分で想像力・創造力を発揮したり、模索するのが必要なのかもしれません。でも私は、誰に相談していいかわからなかったし、相談するというのに慣れてもいなかったし、各々の想像力・創造力を発揮するためにはそれなりの明るさや地図が必要だと思います。

というようなことは、今までいろんな場所で感じてきました。以前から記事でも言及しています。

例えば2017年に参加した、「村:留学」のプログラムで。

参加者が自分たちで作っていくプログラム、というのをメリットとして挙げているようですが、参加者が主体的に動ける場にするためには、主催者やコーディネーターが最初はアイスブレイクなどを行って緊張をほぐしたり、話したいことを話せるような関係性づくりをしないと、参加者としてやる気があってもどうしていいか困惑してしまいます。

mizukifukui.hatenablog.com

また、2018年に行った、海士町で。

以前「村・留学」に参加したときも感じたのですが、最初から「やりたいことしていいよ」と言われても、場所の全体像や仕組み、何がどこまでできる場所かもわからないのに好きなこと・やりたいことなんて考えられないのでは??と思うのです。初めて歩く、周囲に濃いもやがかかっている崖っぷちで、足元もよく見えず踏み外すかもしれないのに「歩け、進め」と言われる理不尽さと怖さのような。それでも進む強さを求める人もいるでしょうが、私は崖から落ちて死にたくないのでそういう状況で歩くのは嫌です。 

mizukifukui.hatenablog.com
選択肢とその選び方を知る段階がないままに、放り出されて、結果はどうであれ「自分で選んだ」ことにされる。もっとスムーズに飛び立てるような助走・発射台に当たるものが社会の中でも、どんな場所でも必要だと思っています。

 

ちょっと書き残しがあるので、また追記などするかもしれませんが、一旦こんな感じで。久々に、ピースボートの体験を棚卸しして確認した感覚があり、「今読めてよかった」と心底思った本でした。