【雑記】贈り物をするなら、花を。
今日は母の日。コロナ禍の中で、楽しめるイベントごとがなくなっているからか、メディアなどでも例年以上に盛り上がっていた気がするのですが気のせいでしょうか。
私は実家で同居している母にカーネーションをあげました。
ここ数年、特に女性に向けては、何かにつけての贈り物はできるだけ「花」にするようにしています。その理由は、単純に「嬉しいはず」というのもありますが、一番の理由は「残らないから」。
「残る物の方が、思い出も思い出しやすくて良い」「せっかくお金を出してあげるなら残る物に」という意見もあるかもしれません。でも、物の方が長きにわたってもらった人の負担になると思うのです。
実際、いま家には貰い物が色々あります。半年ほど前には、母が友人からハロウィンのお菓子の詰め合わせのような物をもらってきて、ハロウィンらしさ全開の入れ物↓が居間に適当に引っ掛けてあります。
あげた本人・もらった本人が良ければ良いのかもしれませんが、同居人としては「まじか、、」と思いました。言葉を選ばなければ正直「目障り」です…。(笑) これからずっとここに鎮座されるんだろうかと思うとなんだかやりきれない気持ちになります。埃をかぶったり色あせていく様子も目に浮かびます。
ずっと残るような性質の物じゃなく、食べ物・飲み物・日用品だとしても、「もらったけど使わない・食べない・要らない」という場合も多いと思います。「勿体無い」が嫌いな私としては、それで放置されてしまう状況こそ勿体無いと思います。
できるだけ物を少なくしたいと思っている私としては、贈り物をするときもできるだけ物に頼らないようにしたいのです。
それなら、しばらく楽しんだ後は当然枯れて、土に還すこともできる花を贈る方が、気持ちは伝わるし負担も少ないと思うのです。贈る側としても、納得感があります。
ただ、持ち運ぶことになる時間が長いとか、花瓶がなさそうとか、そういう事情は想像する必要があります。そうでないと負担になるので。そういう条件が合致した時は花を贈っています。
花をあげるのは、お金を介さず実現できる可能性もあるのもポイント。野に咲く花や育てた花で花束を作ってあげるのが一番良いなと思っています。いつかやってみたい。今は難しいので、花屋で買った花で気持ちを伝えます。
おまけ:こんな日に聞きたい曲たち。
なんだか、浮かぶ曲がいくつかあるので残しておきます。
2015年、ガーナの母の日のキャンペーンのタイアップ曲だったコブクロの1曲「hana」。「そろそろ母の日です」みたいな話をメディアで見聞きする度、そして「花買うか〜」と店に行った時も、頭の中でこの曲が流れていました。だからか最近口ずさむことも多かったです。
「曇り空に慣れた方が 日々を明るく感じられる」という一節にしみじみとさせられます。今日は薄曇りでしたが、天気的にも、先の見えない時勢的にも、こんな日こそ聞きたくなる一曲かもしれません。
サビをよく聞くと「がーな」という音が隠れているという仕掛けもある曲です。
あと、「花束」と言ったらこれでしょう、Superflyの「愛をこめて花束を」。オーケストラライブでの演奏が素晴らしすぎるので、貼っておきます。活動休止を経ての初ライブの1曲目でした。