ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

SNSと表現欲求・承認欲求。「人の死をもネタにしようとした自分」にゾッとした話。

昨日の記事で書いた、SNSに感じる「出会った場所や人をネタにしているような感覚」。この言葉から思い出した、ちょっとドロッとした話などを、書いてみます。

 

ファッション的基準に照らされる、暮らしや交友関係

まずそもそも、私がSNSに感じている「出会った場所や人をネタにしているような感覚」という違和感をもうちょっと解剖。

FacebookInstagramにあげられる写真とかって、「こういうモノ・場所・人と関わりがある自分」を演出している感じがします。モノや場所ならまだわかるのですが、会った人との写真を投稿する行為って、「こんな素敵な友人がいます」「こういう交友関係があります」っていうアピールのように見えるし、自分が投稿するときも正直薄々そう感じていたと思います。写真に写る人たちを、自分のファッションの一部にしている感じ。それが気持ち悪いと思ってきたのかなあ、と今振り返ると思います。

従来は、ファッションといえば服でした。しかし今は、服以外でも自分の趣味趣向・対外的に与えたいイメージなどを表現するというのは当然。「“ファッション”の概念の拡大」みたいな状況があります。また、SNSで日々の過ごし方や自分で撮った写真を気軽に人に見せられるようになり「暮らしがファッション化している」「おしゃれさを求める範囲が広がっている」という状況があります。その「おしゃれ・素敵な暮らし」の一部に、行った場所などはもちろん、交友関係そのもの、すなわち「友人と会う」という出来事や、そうして会った人との写真が位置付けられている気がするのです。

と、こんな「暮らしのファッション化」の考えを持つようになったのは、『「くらし」の時代』という本を読んでから。一年ちょっと前に読んで、「今この時代」を捉えるのにとても役立ちました。

「くらし」の時代: ファッションからライフスタイルへ
 

この本でSNSは以下のように紹介されています。(読んだ時の私のメモツイート▼)

 

思い出した出来事

以上のような違和感をうっすら感じているなか、私の中で、SNSとの関係を考えさせられる「気持ち悪い」出来事がありました。

その発端は、「ほぼ会った記憶のない従兄弟が突然亡くなった」ということ。年齢は一回りほど上で、彼が親族の集まりに来なくなったような年齢と、私の物心つく頃がほぼ同時期でした。そして、ここ10年くらいは、ワーホリやらで海外で暮らしている、みたいな話を彼の親に当たる叔父さんたちから聞いていました。

全然交差しなかった彼と私の時間。葬儀でほぼ初めて“会う”なんて、そこで初めてどんな友人がいて、どんな人柄だったか知るなんて、なんて不条理で、悔しくて、悲しいことだろうと、思いました。そしてそこで知った、根を張る場所を探して右往左往していたような彼の人生を、生前に会って知っていたら、私はもうちょっと楽だったかもしれない。仲間がいると思えていたかもしれない。でも、今も生きていたとしても、彼と会えて話ができていた気はしない。

今思い出しても、囚われてしまうこの感情。このことを、なんだか吐き出したくもなって、聞いて欲しくて、「久々にインスタに投稿しよう」と思ったのです。そして少ししてからハッとした。「私は彼の死を投稿のネタにしようとしている」と。そう思い当たって、ゾッとしました。自分が気持ち悪く、おぞましくなって、もちろんその投稿は書きもしなかったし、SNSからさらに距離を置くきっかけにもなりました。

 

でも、表現欲求・承認欲求は普遍的にある

でも一方で、人間は社会的生き物で、意思疎通を大事にして生き延びてきた分、何かを感じたら「表現したい」と思う欲求や、「表現を通して承認されたい」という欲求は普遍的にあると思うのです。この考えは、この数年私の「SNS観」みたいなものの中核にあります。

こう思うようになったのは、作家・朝井リョウさんの以下のインタビュー記事を読んで「だからSNSがあんなに普及して、みんな離れがたいんだ」と腑に落ちてからです。4年半ほど前の記事ですが、特に「なるほど」と思ったところを引用します(太字は私が追加)。

私たちの親世代がフェイスブックなどを使うようになり、友達のお母さんがオリジナルのポエムを書いていたりする。そういうものを見たりすると、年齢関係なく、みんな自分の人生を発信してみたいんだなと。昔はそれができるようなツールすらありませんでしたが、今の若者はツールも揃っていればその使い方も熟知している。(中略)きっと人類均一に承認欲求はあるんですが、その中で技術を駆使できているのが若い人たちじゃないかなと。

【中編】直木賞作家・朝井リョウに聞く。会社員と作家を兼業してみえた、自分らしいワークバランス。 | Recruit - リクルートグループ

 

こういった考えは、朝井さんはラジオでも時々話していますが、私はこの記事で初めて目にしました。

私はSNSはあまり肌に合わないと感じているけど、このブログだって、表現欲求・承認欲求の発露の一つであることには変わりない。だけどこういう発信をしたくなるのは、「人間として自然なことなんだな」と、朝井さんのこういう話を聞くたび思い直します。

この前のラジオ「ヨブンのこと」然り、彼の考え方にはハッとさせられることもあって、なんだか色々考えさせられることが多いです。地味に、結構影響を受けている著名人の一人かも。

 

最近漠然と、「SNSが自分に及ぼした影響って結構大きいな」と感じています。良くも悪くも。そして今だに、どう付き合うべきかは模索中。SNSについては、また違った視点で考えてみたいです。