時代も国も超えた旅。1961年の旅行記「何でも見てやろう」感想。
以前何かで知って「いつか読もう」と思っていた、1961年出版の旅行記「何でも見てやろう」を読みました。当時のベストセラーであり、きっと海外旅行など縁遠かった当時はなおさら、いろんな憧れを胸に読む1冊だったのではないかと想像します。
(私が読んだのは初版1961年の単行本ですが、文庫のリンクを貼っておきます)
インターネットやLCCなどの登場も相まって、気軽に安く海外に行けるようになった今と、もう半世紀以上前となったこの作品での旅は、どれほど“違う”のだろう、と思いながら読み進めましたが、予想以上に外国の事情にも著者の感覚にも「時代の違い」を強烈に感じました。
そんな印象を含め、感想を書いてみます。
あらすじ
東京大学を出て、いくつか本も出していた著者が、「フルブライト奨学金」でアメリカに留学。帰路には、与えられた航空券を使って、ヨーロッパからアジアに向けて、1日1ドルの予算で各地を巡ります。その、留学中のこと(アメリカや、アメリカから出かけた国内外の場所)と、帰路の貧乏旅行のことが書かれた旅行記です。
では次から感想を何点か。
時代がすごい。
私が「歴史」として習ったようなことを実際に体験している描写がいくつかあり、「これはすごい」「歴史の証人だ」と思いました。中でも印象に残ったのは2点。
汎アラブ主義:エジプトとシリアが合併した「アラブ連合」、ナセル大統領の時代
一番不意打ちでもあり驚いたのが、「アラブ連合共和国」が成立した記念日にちょうどその国にいた、というくだり。
エジプトのナセル大統領が、アラブ諸国の連帯を訴え、隣国でもなく文化的にも違いがあるシリアと連合国家として組むという、今考えるとなんとも理想主義的で頭でっかちな国。世界史の授業でも習ったし、アラブ好きとしてはもちろん把握はしていましたが、それでも昔のこと&今への影響があんまりないため忘れ去っていました。
それが突然、当時の一人の経験として立ち現れ、圧倒されました。
アメリカ(南部)の制度的黒人差別
筆者がアメリカの、特に南部で、駅の待合室や席などで「白人用」「黒人用」の差別がされているのを目の当たりにする描写は、これも「歴史の証人だ…」としみじみ思いました。
今はそういう明確な制度的差別はないので、その体験自体、今はできないわけで。もちろん、できない方が良いのですが、当時それを体験した人がいて、その体験や感覚を記した言葉を読むというのは大切なことだと思いました。
また、半世紀経った今から当時の描写を読むと、「制度的には無くなったはずのこういう差別は、今も残っている」「変われていないんだな…」と暗い気持ちにもなります。でも少しは進歩していると信じたいものです。
時代の世界観?
「この著者の」なのか、それとも「この時代の若者の」なのか、どちらとも・なんとも言えませんが、今とは違う「世界観」を2つ感じました。
「大国」と「小国」
「ついこの間まで大国だったが小国になった日本」という考え方が現れていて、隔世の感というか、不思議な感覚でした。
外国の「大国」の例はもうよしにしよう。われわれの日本だって、ついこの間まで、大国のうちの一つだったのではないか。他人事ではない。朝鮮で、中国で、また他のアジア各地で、われわれが何をしたかは、これはもうわれわれすべてがよく記憶していることであろう。
私は「小国」の国民であることをうれしく思った。誇りにさえ思った。これは決して消極的受け身な善ではない。現在、他のどの国に対しても、すくなくとも積極的に悪をなしていないことーーそれは、もしわれわれがこれからもそうでありつづけるなら、それだけで、大きな能動的なエネルギーにまで転化できるものであろう。(p344)
ここで言う「大国」は、軍事的に他国にアプローチしている、という感覚なのかな、と想像します。そういう意味でも、「大国」という言葉が持つ印象が変わったんだろうなと。
今の日本で、「世界の中で、日本は“大国”か“小国”か」と日本に住む人に聞いたら、きっと多数派は「大国」じゃないかと思います。私としても、「最近は怪しいけど、どちらかと言えば確実に“大国”」という感覚。
この「大国である」という感覚は、やはり高度経済成長後くらいに現れた感覚なのでしょうか。それとも、冷戦が影響している?
なんにせよ、以前の「小国」という感覚はある意味カルチャーショックでした。
西洋と「アジア」という二項対立的世界観
著者は、アフリカや中東も含め「アジア」として捉えており、彼がいう「アジア」が連帯・共感しあえないことへの悲観や希望を語っていて、とても不思議でした。
そんな考えは何ヶ所にも現れていましたが、いくつか引用します。
日本と「西洋」の距離が、「西洋」とアラブの世界やインドとの距離よりも小さいのではないか、ということは、それが、日本とアラブの世界やインドとの間に横たわる距離よりも小さいのではないか、という、われわれにとって極めて悲観的な結論につながっている。つまり、アジアがアジアを理解し得ないこと。
(p264)
あとはこことか。↓
「西洋」のなすがままに、しぼりつくされ、半殺しのめにあっていた「われわれ」被支配国、植民地国、後進国、そして貧困。そこで、おそらく、アジアは一つとなる。いや、私は「アジア」というコトバを思い浮かべるとき、必ずそのコトバに中近東はおろかアフリカさえもふくめてそうしているのだが、そこの一点において、アジアとアフリカはまさに一つになる。
(p266)
まあ、時代を考えると、
という背景が色濃いときなので、こういう二項対立的世界観にもなるのかな〜と思います。
「時代の限界」を感じた、差別的表現
これまで書いてきた「時代の違い」は、ただひたすら「違う」ということに驚き圧倒された感覚を得たものでした。しかし一方で、今なら問題になりそうな差別的感覚を内包している文章もあり、その違いは、看過できずショックを受けました。
他の部分はそれなりに楽しく読んでいた分ダメージが大きくて、しばらく引きずるほどだったのでそのまま引用はしませんが、大意としては
- “同性愛者に「なってしまう」人がいる”(元からそういう人がいるというのではなく)
- 皮肉的文脈ではあるが、“望まない子を妊娠したら「中絶できる自由がある」”と軽く表現している(そりゃ、レイプされた結果でも中絶できないのも辛いけど、中絶することに体も心も負担がないとでもいうのか。女性蔑視…。)
どちらも、「著者本人が差別的で悪い」というのではなく、「時代の限界」なのだなと思いました。こういうのを全く問題としなかった時代だったということを、まざまざと突き付けられました。
また、これを痛みとして感じるということは、今生きている人にも残っている感覚だからだろうと思います。「こんな表現を昔はしてたんだなあ、今はないけど」と客観的に受け取れるなら、ショックはそれほど受けなかったと思うのです。その、狭間の苦味を、感じました。
自省的苦悩も書いていてすごい
上記でも書いた黒人差別や、貧困を目の当たりにした場面で、その時の苦い感覚にしっかりと向き合い、言葉にしているのは見事だと思いました。
例えば、アメリカ南部で「白人用」待合室のベンチに座った時のことをこう書いています。
正直に言おう、私は何かしらホッとしたのだ。ヤレヤレ、あそこに入れられなくてよかったという見下げはてたヒキョウないやったらしい気持を、私は感じたのである。いや、ひょっとしたら、私はユカイであったのかもしれない。私はすでに「彼ら」を「こちらの世界」の眼で、つまり「白人」の眼で眺める、見下ろすことを始めていたのだ。それはたまらなく不快な経験ではあった。しかし、その不快さの底に、ある程度の快感が潜んでいたことを、私は今思い返してみるとき、どうしても否定することはできないのだ。
(p105)
「悪いと思いながら、自分も加担している」ということは、気づくだけでも難しい。その上、それを言葉にしようとすると尚更、勇気も要るし大変な作業です。こういうことが表に出せる人は尊敬します。
他にもいろんな描写が秀逸で、当時の外国の雰囲気を知れたのはもちろん、ただ外国に遊びに行っただけではありえない思慮や葛藤も苦々しく迫ってきました。私が諸外国に行った時に感じたことなども思い出す本でした。
また、外国旅行(記)あるあるですが、「外国と見比べてはじめて、日本の文化や考え方がわかる」みたいな面も大いにあったのも面白かったです。
今年は海外旅行に行きたくても行けない状況。その分こういった面白い旅行記を読んで、視野を広げておきたいものです。
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