“映画館映え”の化けの皮が剥がれた?グレイテスト・ショーマンを久々に&家では初めて見たら、失恋のような気分に…
2018年に大ヒットしたミュージカル映画「The Greatest Showman」。
私も大いにハマって、名画座での鑑賞も含めて映画館では3回見たほどです。
以降2年半にわたって、サウンドトラックも時々聞き返していたし、機会があればまた見返したいと思い続けていました。
そしてようやく訪れたその機会。music.jpで100%オフクーポンの対象になっているのを見つけ、すぐ視聴。
すると、私はいつも家ではタブレットで映画を見ているのでそのサイズ感の問題もあるかもしれませんが、「あれ…?」と思うところが多く。見終わったら、恋が終わった時のように、「なんであんなに好きだったんだっけ?」と思ってしまいました。こんなことってあるんだな…。
なぜ冷めてしまったのか?理由は何点か思い当たりました。
音楽の迫力、映像の美しさ=映画館映え
初めて見た時から思っていた、「脚本は深みがないけど、音楽と映像がすごい」という感想。前のブログ記事でも、「心が、魂が、揺さぶられているような感覚」と書いています。映像・絵面として美しい場面もとても印象に残っていて、例えば、
など。
その音楽や映像の迫力は家で見ると全くもって物足りず、「あれ?こんなものだったっけ?」と思ってしまいました。映画館の音響と大画面で作品を見たからこそ、あんなにハマったんだなぁと実感しました。いわば「映画館映え」する作品だったのでしょう。
そして、映画館で見ていた時は音楽と映像に圧倒されて気にならなくなっていた点が、気になるようになってしまいました。
CG感が気になるように
気になるようになってしまった点の1つ目が、「CG」。サーカスの動物たちはもちろん、街の風景や遠くの景色など、随所にCGが使われています。
これは前から感じていたけど、今回は「入り込めない」「なんだかちゃっちく感じる」と思うまでになりました。
この点は、私の方でも変化はあるかもしれません。少し前に「アラビアのロレンス」を初めて見て、「砂漠で、実写で、これを撮ったのはすごすぎる…!」と感じ入ったので、「今はCGもすぐ使えるけど、実写はやはり違う」という感覚になっているかも。
あと、もしかしたら年月の方(技術の稚拙さ?)も要因としてはあるのかも…?時が経つにつれて、今後はもっと技術的にちゃっちく見えてしまうかもしれませんね。
登場人物たちの心情変化の背景が全くわからず困惑
気になるようになってしまった点の2つ目は、登場人物たちの心情について。本当、「いつの間に?」「なんで?」という点が多くて、ついていけない感覚になりました。例えば、
- なぜ・いつの間にアンはフィリップを好いたのか
- なぜジェニー・リンド(オペラ歌手)は、主人公バーナム氏に妻子いるのに脈ありだと思ってたのか?なぜ恋仲になろうとしたのか?
- 世間から爪弾きにされてきた「変わり者(freak)」たちが「家族」になっていく過程:それまで居場所がなかった感じもよく伝わってこないし、あまりにも簡単に「家族」と言い始めて困惑
- バーナムは本当に周囲の人を大切にするようになったのか?(出し物・利用する相手としてから、家族・友人として)
など。まあ、人の感情なんて、はたから見たら合理的じゃなかったり意味わからなかったりするけれど、映画なら少しはそういうとこも描いてくれよ…!と思います。
「This Is Me」、なんだが…
映画の挿入歌の中でも代表的な1曲、「This Is Me」。変わった見た目などのせいで世間から爪弾きにされてきた「変わり者」たちが、仲間と思っていたバーナムに突き放されても、胸を張って堂々と生きようとする様を歌っています。そんな姿には、自分も重なったりして、めちゃくちゃ共感して感動しました。希望も感じました。
しかしこの曲から2年半経って、
- 「これが私」と表明するのも難しいし、表明しただけでは生きていけない。
- (Black Lives Matter運動とかも見て)多様性って、言うのは簡単だけど実行するのは難しいよね…
というシニカルな感覚が巣食ってしまったな〜、と、乗り切れずにこの場面を見ながら気づきました。
「確かに"This Is Me"なんだが、でも…」と言いたくなる自分や年月の存在を感じました。
「“バーナム=トランプ”感」を感じて冷める
前述の映画の感想ブログを書く前に読んで、大いに共感していた東洋経済の記事では、「この映画と、主人公バーナムのマーケティング方法は重なる」という点が指摘されていました。
ここで、私が注目したいのは、これまで挙げた「『ラ・ラ・ランド』の威の借用」「『体感ニーズ』との合致」「『いい話』要素の活用」という3つのヒット要因は、まるまる映画の中のP.T.バーナムが用いていた方法論だという、驚くべき事実である。
P.T.バーナムの手にかかれば、誇大表現・誇大広告など当たり前、また、大きなホールやテント劇場を作って、盛り上がりを大衆に「体感」させ、また、評論家や地域住民の批判に対して、「われわれは人々を楽しく幸せにしているんだ」という「いい話」要素を盾に、徹底的に居直る。
つまり、この映画のマーケティングは、映画の中のP.T.バーナムのマーケティング手法に、ぴったり沿っているのである。
映画「グレイテスト・ショーマン」成功の背景 | スージー鈴木の「月間エンタメ大賞」 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
私としてはそれに加え、「この映画がうける時代こそ、トランプ大統領を生んだのだ」というようなことを感じ、ちらっとブログにも書きました。
そんな単純化された話でありながら、音楽で感動"させられる"感じが、わかりやすいものを求めがちな今という時代を映していると思います。中身はよくわからないけど見かけが良い・印象が良い・感動する、というような、論理<感情という構図。トランプ大統領の誕生や"インスタ映え"のベースはここにあると思います。
論理より感情。多様性を大事にしたい。映画「The Greatest Showman」に時代が求めるものを見た。 - ふーみんLABO(仮)
そんなことが頭の片隅にある状態で映画を見ると(…というかこの点も、映画館ではその片隅から吹っ飛んでいたのでしょう)、なんか冷めるというか、もやっとするというか。
周囲の仲間を対等に認めているわけではなく、結局貴族たちと交流する場にはfreaksを入れようとしなかったり、オペラ歌手ジェニーには「結局私も出し物の一つだったのね」と見放されたり(この場面は前述のようにジェニーも謎だったけれども)するバーナムは、側近にもマスコミにも厳しくあたるトランプ氏の姿が重なりました。
また、バーナム氏の「出し物は作り物かもしれないけど、観客の笑顔は本物だろう?」というような台詞も然り。トランプ氏と重ねれば、「ツイートも発言も、内容は本当じゃないけど、皆喜んでるから良くない?」みたいな。
奇しくも、この映画を観終わってニュースサイトを見たら、アメリカ大統領選の「バイデン氏当選確実」の報がありました。自分の中でも世間としても「一時代終わった(いや、いつの間にか、変わっていた)」ことを感じた、映画の見方の変化でした。
作品としては「おや?」と思うようになってしまいましたが、挿入歌の素晴らしさは変わりません。私は今後もそれなりに歌も映画も生暖かく見聞きしていくのでしょう。そのうちにまた見方が変わるかも。
前から、「1度見た映画を見返すのも良い」とは思っていましたが、こんな変化があるならやはり何度か見ておきたいなあという思いが強くなりました。