ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

人生はずっと片想い。両想いも、両方が片想い。―「両想い」という期待を手放そう

片想いのゴールは「両想い」?
「両想い」ならお互いわかりあえると思ってる?
「両想い」だったつもりなのにすれ違う?
両想い=お互い片想いだって考えてみたら、
両想いだからって期待してたことを手放せるはず。

 

 人生ずっと片想いなんだね、と、友達と電話していて、ふと、私の口からこぼれた。

 

両想いという期待

互いに互いを好いて付き合い始めたとしても、「あれ?」ってことが重なる。「彼が私のこと好きって言ってくれない。だから好きなのかわからない。」「彼女が全然時間を守れない。会う時間が減るのに遅刻する。」「褒めてくれない。認めてくれない。」などなど。

付き合っている以上ふたりは両想いであって、それなりに相手のことを認めていたり、尊重すべきだったり、愛していたりする。お互い認めていて、尊重していて、愛しているから付き合っている、という前提のようなものを共有している。――とだいたいの人は思うだろう。

でもそういう考えだと、相手に対して「あれ?」と思ったときに、もっと理解に苦しむことになる。「私はこんなに彼のこと好きで、好きって言ってるのに、なんで彼は私のこと好きって言ってくれないんだろう」と。両想いなのだから、私が思う分だけ相手からも返ってくる、というような期待が見え隠れする。

 

人に期待しても、幸せにはなれない

「〜〜してほしい」「なんで〜〜してくれないんだろう」この言葉の型にはまる考え方は、「期待」。期待には、自分がどうこうするという方向の力ではなく、相手をコントロールしようとする力だけが働いている。自分を変えることなく、相手を変えようとしている。そうすると、相手はたいがい反発する。だからその期待の内容は達成されなくて、また不満がたまってしまう。

期待って、すっごい非効率なのです。幸せにはならない考え方。

だから、期待するより、自分の考え方を変えたほうがよっぽど早いし、自分が変わると、影響されて相手も変わるもの。どんな人にも、目の前の人1人の、考えや態度を変える影響力がある。

 

「片想い」と捉えることで、「期待しない」マインドセットを。

恋にせよ、友人との関係にせよ、進路にせよ、「両想いにはならないものだ」って考えてみる。そしたらちょっとラクじゃない?

付き合ってる、とか、すごく仲良い、とかいう状態も、「両方が片想い」。「私はこんなに彼のこと好きで、好きって言ってるのに、なんで彼は私のこと好きって言ってくれないんだろう」と思ったとしても、片想いだって思えたら、ちょっとしたすれ違いも愛おしく思えそうじゃない?

親子だって、夫婦だって、片想い。両方思い合うのが当然、という考えは、義務感を生んで、義務感は窮屈さを生む。そういうのにかられて、想える人がいる幸せを取りこぼしてしまうのは、もったいない。

  

そんなわけで、今わたしは、絶賛いろんな人に片想い中です。