ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

自立と放置の狭間で。海士町での発見8つと、もやもや。

島根県海士町で2週間過ごした話のつづき。今回は実際に見れたもの、感じたことを中心に書いていきたいと思います。(最初の記事はこちら。)

でも、はじめにお伝えしておきたいのは、私はかなりもやもやして、違和感を抱えて帰ってきたということ。それは場への入り方・タイミングが良くなかったということや、私が求めていたことが漠然としていたこと、私が期待したことと受け入れ側ができることが一致していなかったということなど、いろんな要因があると思っています。そこらへんのことも書いていきます。

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発見1:多様な生徒が集まっている。

前の記事でも書きましたが、いま生徒の半分は島外から来た子たちです。ずっと島で育った生徒も、本土の田舎で育った生徒も、東京近郊など都会で育った生徒もいる。標準語も関西弁も聞こえる環境。1年生だと、島内生と島外生がそれぞれかたまって仲良くしがちだけど、2年生以降は混ざってくるようで。高校生の頃から違う地方出身の子たちと出逢えるというのはかなり刺激的だろうなあと思います。

そしてこれも前述のとおり、生徒の学力や進路希望も様々です。その分、生徒が進路を決める際に見えている選択肢が多いと思いました。例えば私の場合は私立の進学校で、家族にも大卒が多く、大学に行くのが当たり前。就職や専門学校に進むことなどはほぼ選択肢として見えていませんでした。周りに色んな子がいるからこそ、なぜ自分は大学に行くのか?就職するのか?という考えを持てているという印象を受けました。

 

発見2:生徒の自主性がすごい。

生徒の自主性がいちばん如実に表れていたのが、寮。「自治寮」を掲げ、寮長も生徒が担っています。寮でのイベント(寮生主催の、地域の人と交流するためのフリーマーケット)に行きましたが、生徒がしっかり寮の説明をしてくれ、イベントの運営も基本的に生徒だけでできていて驚きました

寮を綺麗に保とうという意識が高いそうで、実際に見れはしませんでしたが掃除もしっかり主体的にやるそうです。また、大小さまざまなプロジェクト(他の高校の寮との交流、畑で野菜作りなど)が寮内で動いているらしく、ハウスマスターのサポートのもと生徒たちが主体的に取り組んでいるようです。

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男子寮として使われている建物でのフリーマーケット

また、学習センターの「夢ゼミ」や自習で、各々が自分のやるべきワークに取り組む時間には、自分からスタッフに声をかけて相談する生徒も見られ、自分に必要なことがわかっていて、それを行動に移せるんだなぁと感心しました。

「自立学習」をすすめる学習センター。その"自立"とはどういう状態なのか?放置との境界線は?という問い・課題が、インターンをしている友人の中にはあると聞きました。自主性を引き出すこと、生徒のやりたいことをサポートすることで、時間をかけてこういう状態が作られつつあるんだろうなあと感じました。

 

発見3:田舎にあるけど、都会的な空間。

生徒もそうですが、スタッフやインターンは皆全国各地から海士町に来ています。東京で働いていた人も多い。「都会の感覚で働ける田舎」なのだと思いました。高校魅力化に関わるいろんなセクターの中でも、学習センターはその傾向がいちばん強いそうです。

今までいろんな形でいろんな地域に行ってきましたが、「仕事場」に行ったことはほとんどなかったということもあり、田舎ならではと思っていたあたたかい雰囲気やもてなしはほぼないと感じました。スタッフさんの性格としても、お互いに踏み込みすぎないことをよしとする人が多いようです。一言で言うと「ドライだな」と思いました。

こういう状況を見て、もやもやしたのは、私が「田舎」に求めているのは何なのか?私が思う「田舎」の要素は何なのか?ということ。そして、こういう場所が田舎にあるのはいいけど(選択肢として存在する価値は多いにあるけど)、私が働きたい空間ではないんじゃないか、という気づきがありました。

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学習センターの「土間」の一角。

 

発見4:いろんな大人が来るから、みんなよそ者に慣れている。

過疎や少子化が進んでいる地域に何かのプログラムで行くと、行くだけで(良い意味で)面白がられたり、感謝される節があります。それが田舎だと思ってきたけど、どうやら海士町は違うらしい、、と思いました。

海士町や島前高校の取り組みには全国から注目が集まっていて、官庁や企業、NPOの人などいろんな人が視察やイベントのためにやってきます。そのため、学習センターも生徒たちも、いろんな人が来ることに慣れています。なので、行くだけでは全然目立てないし、面白がられもしません。地味にこれが衝撃的でした。

ただ、いろんな大人が来る、ということは間違いなく生徒たちにとっては刺激になっています。多様な背景を持つ人と出逢え、直にコミュニケーションが取れることで、見える選択肢が広がるはず。実際、視察で来た官庁などの方と意気投合して、とあるプロジェクトに高校生で唯一参画しているぶっ飛んだ生徒もいました。

 

発見5:Iターン者がたくさんいて、コミュニティになっている。

地縁のない移住である「Iターン」の人が島前地域には増えています。なので、移住者同士で仲良くなってコミュニティになっているということを感じました。

地域にあるおしゃれなイタリアンレストランのシェフ(「Uターン」で開業した女性)が開いた料理教室のようなものに参加したのですが、他に参加していたのは20〜30代の女性で、皆いろんなところからのIターンの方たち。

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バレンタイン前の、チョコ菓子作りの教室でした。

逆に、ずっと地域に住んでいるような方・島前出身の大人とはちゃんと出逢えず、商店や飲食店をやっている方を見たり、道であいさつするくらいでした。

今まで、海外にせよ国内にせよ、旅する際には「現地の人と交流すること」をとても大事にしてきた分、地域に根を張って暮らす人にちゃんと会えなかったことが、振り返ってみると大きな違和感として残っています。移住してきた人やコミュニティが地域ではどう捉えられているのか、受け入れられているのか知りたかったなと。そういうことを知らずして、地域全体を知った気になってはいけないなと感じています。

どんな場所でも、地域に根を張る人と一緒に動いていくことが大切で、そういう人の存在を軽視した地域づくりには危うさがあると思います。

 

発見6:本土の田舎も、離島も、そんな変わらない。

今回は初めて離島に行くということで、船や飛行機でしか本土とつながっていないってどうなんだろう、、と思っていました。実際、冬は特に海が時化るため、フェリーの欠航も時々あります。私が島へ向かうときはちょうど大寒波が来ていて、予定していた日にはフェリーが欠航。境港で1泊することになりました。予定の前日も欠航だったので、1泊で済んだだけマシだったようです。

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島を離れるフェリーにて。

また、離島ということを実感したのは、物価の高さ。島にはコンビニや大きいスーパーがなく、集落の個人商店でよく買い物をしたのですが、卵1パック250円前後食パン1斤200円前後などの物価。本土のスーパーでは安ければ2ケタの値段で買えてしまうだけに、高い、、と思わざるをえませんでした。

しかしフェリーと物価以外のことは、ほかの本土の田舎とそんなに変わらないと思いました。島ではどこに行っても知り合いに会ってしまうので、喫茶店で1人になりたいから本土へ行ってきた、というスタッフさん。ほかの集落に行くには車が必要、という車社会。古い民家を借りてシェアハウスとしているスタッフさんたちの家賃は月3万弱、という固定費の安さ

いろんな意味で、本土の田舎も、離島も、そんな変わらないんだなと実感しました。

このような状況を体感して私が思ったのは「本土とそんな変わらないなら私は本土がいいなあ」ということでした。島での物価の高さは、固定費の安さで十分バランスが取れているようですが、本土の田舎だったら物価も普通で固定費も安いわけで。

物価は高くても島で自給自足できる環境があるなら良いけれど、そうではなく、なんならお米はブランド化していて、本土に「輸出」し「外貨獲得」の手段になっています。その一方で多くの食料品をはじめたくさんの物を島に運んできてまで住むのは、危うさを感じるし、「そこまでする?」っていう感覚です。(人によってどこから手間だと思うかは違うので、本当に個人的な感覚です。また、このようなデメリットを超えるメリットを感じていないとも言えます。)
 

発見7:行く側と受け入れ側の関係、コーディネートの重要性を痛感。

いろんなプログラム(インターン、ボランティア、学生向けツアーなど)でいろんな地域に行ってきたけれど、個人で入り込むのは初めて。そして、今回はボランティアという形で少し活動させてもらったといえども、そういう学生の受け入れ態勢がちゃんとあるわけではありませんでした。スタッフやインターンの皆さんも(当然といえば当然ですが)自分たちの仕事で手一杯。

私も、目的意識は漠然とありつつも、「なんか面白そうだから来た」みたいなテンションであることも否めず。関心を細分化して行動に落とし込むには、受け入れ側の助けが必要だったと思います。

また、前述のようにドライさを感じる空間だったのも相まって、「私ここにいていいのかな」という感覚がずっと抜けませんでした。「聞きたいこととかあるんだったら自分からどんどん話したほうがいいよ」とは色んな人から言われたけれど、オープンな雰囲気がない、忙しそうな人に話しかけられるほどメンタル強くないし、それを来た側にのみ求めることに違和感がありました。

というのも、以前国際教育に関する授業で「方法はメッセージをもつ」という言葉を聞いたことがあり、以下で言われているような矛盾を感じたからです。

開発教育では、そのねらいや内容だけでなく、方法を重視するところに一つの特徴がある。
「方法はメッセージをもつ」という言葉があるが、たとえば教室で、「人権は大切である」というメッセージが学習内容として学習者に提示されたとする。しかし、もしその方法(学習形態だけでなく、教室の雰囲気や教師と生徒の関係などを含む)が学習者の人権を無視したようなものであれば、その方法自体が、内容と異なるメッセージを投げかけ、学習者は矛盾する二つのメッセージを同時に受け取ることになる。 そのような場合、その学習成果は決して期待できるものでないことは明らかだ。つまり教育の方法は、本来そのねらいや内容と一致したものであることが求められるわけである。

やってみよう!参加型学習|授業・研修、ワークショップ、ファシリテーション、アクティブ・ラーニングのこつ|開発教育協会 より引用(太字は編集)

また、以前「村・留学」に参加したときも感じたのですが、最初から「やりたいことしていいよ」と言われても、場所の全体像や仕組み、何がどこまでできる場所かもわからないのに好きなこと・やりたいことなんて考えられないのでは??と思うのです。初めて歩く、周囲に濃いもやがかかっている崖っぷちで、足元もよく見えず踏み外すかもしれないのに「歩け、進め」と言われる理不尽さと怖さのような。それでも進む強さを求める人もいるでしょうが、私は崖から落ちて死にたくないのでそういう状況で歩くのは嫌です。

学習センターがすすめる「自立学習」の話にもつながるのですが、最初から"放置"しても、"自立"にはつながりません。今回の2週間は、どれだけ自立的に自分の学びをここでデザインできるか試されているような気持ちでした。しかし環境的には「自由にさせてもらっている」というより「放置されている」という感じが強く残りました。

そもそも、インターンの友人が「とりあえず来ればどうにかなる」みたいなことを言うので、「行けば面倒見てくれるんだな」という感覚で向かったことがすれ違いの原因だったかもしれません。上記のことも含め色々、聞いてないよ!ってこともあり、それを伝えると「だって来てほしかったから」とのこと。

これは、地域おこし協力隊や移住者を受け入れる地域などでもミスマッチを生む原因になることです。海士町のあとで行った邑南町で、役場の定住促進課の方が「冬は雪が結構降ることとか、車が必要なこととか、ここでの生活の現実やデメリットをしっかり伝えて、それでも良いか聞くようにしている」という話をしてくれましたが、人に来てほしいからといって、"不利"になりそうなことを伝えずにいるのはお互いにとって良くないのです。

 

発見8:私は、仕事の内容よりも環境を重視したい。

現段階では、できれば「田舎×教育」の軸に近いところで働いていきたいと考えている状況で海士町に行くことで、私はその現場をどう捉えるのか?海士町に飛び込みたいと思うだろうか?という点を自分で知りたいと考えていました。

そして、「田舎×教育」という方向性は完全に合致しているといえる学習センターで2週間過ごし、さらにそのあとインターンでお世話になって以来大好きな邑南町で1週間過ごして感じたのは、仕事の内容よりも仕事や生活をする環境を重視したいということ。

中東にせよ、日本の「田舎」にせよ、「人間らしく生きられる場所」を求めてきた私(これは前ブログで書いた通り)。また、安心できる場所で自分らしくいられないと自分の力を発揮できないということを今までの経験で痛感してきました。そして、私のモチベーションの源は、「ここの人たちのためなら頑張れる」というような、(いろんな範囲での)大好きな地域への想い、そこに住む友人たちへの想いなんだな、ということが今回改めてわかりました。

だからこれからは、全然知らない場所でも仕事の内容で「面白そう!」と飛びつくよりは、どうしたら好きな地域に関わっていけるかをまず考えていこう、と考えるようになりました。これはかなり大きな発見。

 

発見まとめ:最先端の場所にも課題は山積している。

いろんなメディアでも取り上げられていて、全国的に注目されている場所、海士町。たしかに面白いし、 生徒たちも力をつけていることを実感しましたが、課題がたくさんあるということも肌で感じました

この発見からは、ある意味勇気をもらった気がしています。理想郷などなくて、課題に対して試行錯誤をしているのは"先進的"な場所でも同じだということがわかり、じゃあ自分はどんな場所で、どんな課題のあるところで動こうか?と考えていくきっかけをもらえました。

 

以上、私が学習センターで2週間過ごして発見したことともやもやでした。まだいくつか学びとして残しておきたいことがあるので、続きます。
mizukifukui.hatenablog.com