ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

「中東と聞いて思い浮かぶのは、友人の顔」と、なりたくて。【私と中東①】

いま大学の授業で、大好きなものがある。アラブ文化を扱うその授業に、何故惹かれているのか考えてみると、大学に入った頃から惹かれ関わってきた、中東・アラブ世界のことをまとめてみたくなった。

もう自分の活動として積極的に関わっていたのは数年前になってしまったし、、とか思っていたけど、中東から得たものの大きさは計り知れなくて、これからもどんな形であろうと関わり続けたい場所だと思っている。数年間中東への関心は横に置いてきてしまったけれど、これからしばらくちゃんと向きあわねばならないので、まず今まで中東との関わりで何があったか、自分史の一部として物語的に残しておく。(久々に文体変えて書きます。笑)

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東京ジャーミイイスラームの寺院:モスク)。

 

大学入学、JMESCと出逢う

大学に入学し、サークルの新歓で、入学式などを終え構内を歩く新入生に対しビラが大量に撒かれる4月。1枚もらえばどんどんビラが積まれていくので、200枚ほどもらった多種多様なビラの中から、興味のあるサークルを探していた。いくつか興味を持ったサークル・団体のビラのうちの1枚が、「日本中東学生会議JMESC:Japan Middle East Student Conference)」のものだった。

中東と聞いて思い浮かぶのは 友人の顔」というようなキャッチコピーがとても印象的だった。毎年1回、中東に渡航し現地の学生と交流しているということが書いてあり、「中東って、学生でも行けるのか!」と衝撃的だった。高校生の頃世界史の授業を通して、一神教3つ(ユダヤ教キリスト教イスラーム)の系譜が一緒だとかいうことを知って驚いたり、資料集のエルサレムカーバ神殿の写真をしげしげと眺め、いつか行ってみたいなあと思ったりしていた。でも、大学生のうちに行こうとは思っていなかった。行けると思っていなかった。

全然知らない世界で、なんだか惹かれるものがあったのだろう、私は「エジプト文化研究会」なるサークルにも興味をもっていた。そこは古代エジプトのことをやっているサークルで、「アラブの春」以降は現地渡航はできていないようだったが、そろそろ行けるかもみたいな話を聞いて、JMESCと迷った覚えがある。

なんにせよ、中東に渡航している学生団体の存在を知り、「行けるなら行きたい!」と心を躍らせ、どちらも説明会などに足を運んだ。そして、まだ少し迷っている状態でJMESCの定例会に足を運んだところ、先輩に「入るって決めてくれたんだね〜!嬉しい!よかった!」と言われ、あれ?一度も入るとは言ってないぞ?となりつつも、私はそのままJMESCに入ることになった。

 

私の(学問的)関心

高校までの頃をよく思い返せば、私の興味関心は「"近代化"なるものの是非」ということで一応まとめられると思う。日本は明治期以降、そして第二次世界大戦後、欧米にならって"近代化"を進めてきたけれど、それは良かったのか?正しかったのか?みたいな問いが今もずっとある。

この、日本がならってきた欧米を知るためには、アメリカももとはヨーロッパからの移民だし、ヨーロッパのことを知ればいい、というふうに大学入学後数年は考えていた。実際、1年のときの必修の演習で、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー著)を読み解くことになったときは、関心軸にぴったりすぎて楽しかった。

そしてそんな関心軸と同時に、中東にも関心を持ったということだ。一見全く違う関心にも見えるけれど、自分の中では筋が通っているように感じていた。私が小学生の頃起きた9.11などから、「中東の人々(の一部)は、欧米に抗っている」ということをぼんやり感じていて、欧米にならった日本、欧米に反発する中東、というような構図で捉えて、どんなことを考えているんだろう、と興味を持っていた記憶がある。

あと、世界史を通して、一神教ユダヤ教キリスト教イスラーム)のことは、全然違う世界だし面白いと感じていた。まあ正直、ヨーロッパに関しては憧れ、中東に関してはエキゾチズムを感じて興味を持ったというのも大きいと思うけれど。

受験する大学や学部を選ぶときは、文系の枠の中で、「比較文化」みたいな軸で選んでいた。政治や経済、法律は堅苦しそうだし興味がない。ただただ、世界を、いろんな国のことを知りたい。裏には"近代化"というテーマがありつつも、そんな気持ちで、大学に入っていた。

 

夏会議に至るまで

JMESCは、1993年に設立され、それ以来細々とながら続いてきたインカレの学生団体だ。私が入ったときは、先輩が4人、同期が5人ほど。団体の活動の主軸といえる現地渡航(当時は夏休みに行っていたので「夏会議」というのが通例だった)は、私が入った2012年は6月末〜7月にかけて行くことになっていた。

というのも、ラマダーンイスラーム断食月。お祝いという意味では、日本でいう正月のようなもの)が8月にあたるということで、ラマダーンが始まる前に行こうとしていたからだ。そして、そのタイミングに行けるのは、当時団体のだいたいのメンバーがいたICU国際基督教大学。3学期制で休みの時期が他大と違う)の学生だけ。

というわけで、入って1年目のときは中東にはいけず、渡航したメンバーのFacebookで、現地でできた友人たちや町並みの写真を何度も何度も見て羨ましく思う日々だった。

 

私のほうは、1年のときの長期休みはヨーロッパに行った。夏は、一応授業でありつつも、教授がドイツ語圏を中心にヨーロッパ諸国に連れて行ってくれるツアーのようなものに参加した。10日間ほど、ドイツの大学で日本語を学ぶ学生たちと交流し、その後の20日間ほどはドイツやオーストリアなどで、毎日違う街をめぐった。

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ドイツ・ケルンの大聖堂。

春休みは、第二外国語として週4コマ分みっちり習ったイタリア語を無駄にしたくないという思いで、イタリアに10日間ほど行った。1人で行ってホームステイなどをしようと思ったが親に止められ、母と2人旅。代理店に申し込む個人ツアーみたいな形で、ヴェネツィアフィレンツェ・ローマに数日ずつ泊まった。

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ヴェネツィア

この2回のヨーロッパ旅で思ったのは、学生同士の交流の楽しさと、パッケージ的ツアー(バスで巡って、集合時間が決められていたりするやつ)やホテル泊の物足りなさだった。特に後者は、今や「暮らすように旅する」というようなキャッチコピーがもてはやされているように、もっと現地の人の暮らしを感じたいと思った。

 

そして2013年の夏、ようやく行けることになった夏会議。しかし、2013年6月、一番楽しみにしていたエジプトへの渡航は中止することになった。エジプトでは、2011年の革命後選挙で選ばれた大統領の体制が、世間の信頼を集める軍によってひっくり返されるクーデターが起こり、混乱していたからだ。それを決める定例会で、いともあっさりと、良くも悪くも客観的に状況を把握してエジプト行きを中止したメンバーに対して、「そんな程度の気持ちなのか」「こういうときにこそ行くのがJMESCじゃないのか」と憤って泣いたのを覚えている。

結局、8月から9月にわたる約1ヶ月で、アラブ首長国連邦UAE)、トルコ、イスラエル、ヨルダンの4カ国をめぐることになった。メンバーは10人。

プレゼンとディスカッションのため設定したテーマは、”エネルギー”と”学び”。私は後者についてアイデアを出して、プレゼン等を担当した。”学び”というのは、「高等教育で学ぶ意義」というテーマに落ち着いた。これらのテーマを各国の交流団体に伝え、それぞれの国でプレゼンやディスカッションを行う。

 

〜〜つづく〜〜

▼JMESCのFacebookページ。メンバーも活動内容も変わりつつ、団体の活動は続いています。中東のことも、JMESCの活動も、もっと知られてほしい。www.facebook.com