ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

夢見た日々。UAE・トルコ編【私と中東②】

▼この記事の続きです。mizukifukui.hatenablog.com 

いざ、夏会議へ。

初めての「中東」、アラブ首長国連邦UAE)。

2013年8月11日、早朝の成田空港から、北京経由でドバイへ。北京-ドバイ便が悪天候で半日近く遅延したりしながらたどり着いたのは、深夜なのにうだるような熱さの、砂漠と摩天楼の国だった。翌日会ったUAEで交流するメンバーたちは、前に写真で見ていたような服(男性は白のカンドゥーラ、女性は黒のアバヤ)を皆着ていた。それだけで「ついに来たんだ」と思えて胸が高鳴った。

大学の綺麗な施設を借り、アイスブレイクなどを行う。UAEの皆は、大学は英語で授業を行っているし、9割移民の国なので日常的に英語を使っているのもあって、英語がぺらぺら。逆に私は、その後1ヶ月かけてやや慣れたっちゃ慣れたけれど、最初は特に緊張もあって、英語で自己紹介もすらすら言えなかった。そんな自分に驚いた。

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ザーイド大学のキャンパスの一角。

各国では、「会議」だけでなく、現地の学生と一緒に観光もした。ドバイのシンボル、ブルジュ・ハリーファの展望台や、ドバイモールの噴水ショーは、初めて見たときは感激した。1年間、恋い焦がれていた場所だった。

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ドバイモールの敷地内の噴水ショー、Dubai Fountain。

古い町並みを保全している地区や、出稼ぎに来ているインド人が多く住む地区など、きらびやかなだけではない町の様子も見ることができた。

アブダビやシャルジャ、アルアインなどドバイ以外の町にも赴いた。観光そのものが楽しいのももちろんだが、中型バスを貸し切って、UAEの友人と混ざって座って話したりするのが何よりも楽しく、嬉しかった。

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アブダビのシェイク・ザーイド・モスク。

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アルアインの、国王邸宅跡の博物館。

ドバイもアブダビも、工事中の建物が多く、発展途上なのだということを実感した。車で郊外から中心部へ移動すると、ビル群が迫ってくるように感じるほど、砂漠とビル群の対比が激しい。ブルジュ・ハリーファの展望台からも、その対比はよく見てとれた。

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ブルジュ・ハリーファからの眺め。今はまた変わってそう。
 
手紙。

最後、空港まで送ってくれた交流相手の2人は空港で、そうでない人の何人かは最後の夜のユースホステルなどで、何人もが私たち一人一人に手紙やプレゼントをくれた。日本語が得意な子は日本語でメッセージをくれたり、普段は勝ち気でさばさばしているのに、「手紙なんて初めて書いた」と泣きながら手紙をくれた子もいた。たった5日だったとは思えないくらい濃密な時間だったことと、こんな絆が生まれていることに、純粋に感動した。

たった5日なのに、こんなに別れが寂しくて、一緒に過ごしてくれた皆への感謝と愛しさが募るとは、思っていなかった。だけどこれは、今まで夏会議を行ってきた先輩たちも同様だったのは見聞きしていた。だから、「ああ、これが憧れていた夏会議なんだな」という実感にもつながって、嬉しくもあった。

UAEでもらった手紙が泣けて仕方なかったのは、また違う理由もある。私がJMESCに入った年の冬、「招聘(しょうへい)事業」というのを行った。これは財団などから補助金をもらいつつ、交流している中東諸国から学生を10日間ほど日本に呼び、設定したテーマに沿った活動や交流をするというもの。この事業に参加して日本に来ていたUAE人の一人が、今回私たちの旅を企画してくれていた。

正直言って、私はこの招聘事業に全く身が入らなかった。行ったことのなかった広島に一緒に旅できたのは楽しめたが、1日行動をともにするだけで疲れるし、ましてや東京での行動は飽きてしまう。1度中東で参加者に会っている夏会議メンバーは、恩返しの気持ちもあるだろうし久々に会えて嬉しいだろうけど、私にはそういう気持ちはなかったわけで。気持ちや体がついていかず、無責任ながら、基本全日程参加する予定だった招聘事業の、東京での日程は半分くらいしか参加しなかった。

しかし、もらった手紙には「日本で会って、次はUAEで会えて嬉しい」というようなことや、「最初はあまり話さないけど、仲良くなるとたくさん話してくれるね」というような私の性格まで書かれていた。

10人にこのような手紙を書いたために「ほぼ寝てない」と言いつつ早朝に迎えに来てくれ、空港まで送ってくれることがまず嬉しかった。そして、身の入らなかった招聘事業で出逢った友達が、5日間のいろんな計画をしてくれ、しっかり一人一人を見ていることがわかる手紙をくれたということで、「こんなにいろんなことをしてくれたのに、私は冬には何もできなかったな」「私、何も知らなかったな」と、情けなさや悔しさを心底感じて、打ちひしがれた。同時に、同じ分だけの感謝の気持ちも湧き上がった。

トルコへ向かう飛行機の中で、一人皆と席が離れたのをいいことに、手紙を読んで泣き続けた。いろんな気持ちが混ざった涙だった。(涙が止まらない私に、ロンドン在住のイラク人だという隣のおじさんが普通に話しかけてきたのは、とても謎でありつつ面白かった。おじさんなりに気を遣ってくれたのだろうか。)

 

すっきりとした気候に驚く、トルコ。

涙ながらの別れの数時間後、トルコに到着した。5分も外にいれば汗だくになるUAEとは打って変わって、イスタンブールはからっとした空気と風が気持ちよくて、感激した。

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トルコに着いた日の夕焼けが綺麗すぎて、皆で感激しながら、走るバスの中からカメラを向けた。

トルコとは初めての交流だったので、手探りの会議を1日行ったあと、諸々の手配をしてくれた、普段は日本で暮らすトルコ人2人が用意してくれた、国中を数日でめぐる弾丸ツアーに出発。石灰棚で有名なパムッカレや、岩の大地カッパドキアなどを巡った。

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カッパドキア
 
海と空の青

最後にはまたイスタンブールに戻り、街を観光した。ボスフォラス海峡のクルーズ船やトプカプ宮殿から見えた海の青さが、印象に残っている。海の青さと、海面に反射している空の青。そして、夏らしい日差しが反射してきらめいて眩しい。そんな海の上を、クルーズ船や貨物船がゆったりと動いている。いつまでも見ていられそうだったその景色が、今でもずっと脳裏に焼き付いている。

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トプカプ宮殿から見た海峡。

ツアーの道中に立ち寄った店で、水色の、うっすらグラデーションがかかった綺麗なトルコ石を買ってしまったのも、海や空の美しさや爽やかな気候に感動していたからだろう。

 
トルコのチャイ文化

イスタンブールでは1泊だけ、現地の家庭に泊まらせてもらった。美味しいご飯をごちそうになり、食後のティータイムもとても心和むものだった。トルコに行く前からトルコのチャイは好きだったけれど、トルコではチャイがいろんなところで飲まれていて、そのどれもが素敵だった。

家族団らんの時間を過ごすときはもちろん、バザールの商売人が仕事中に、またはバス旅の途中立ち寄った休憩所で、または街の道端でだべっているおじさんの輪の中に。チャイが作り出す時間と空間はなんだか人間味があって、チャイがもっと好きになった。真夏であろうと熱々のチャイをガラスのカップに注いで、角砂糖をいくつか入れ、スプーンでからんからんとかき混ぜる。この音が、風鈴のようで大好きだ。

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イスタンブールの家庭でいただいたチャイ。

 

〜〜つづく〜〜