ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

世の中はモノであふれかえっている。需要と供給のパズルがもっとはまる世界を。

世の中はモノであふれかえっている。それぞれが持っているモノの中で、本当に必要だったり、本当に好きなモノはどれくらいあるだろう。逆に、それほど使っていないのに所有したままだったり、それほど気に入ってないけどなんとなく使っているモノはどれくらいあるだろう。その一方で、モノがなくて困っている人もどれだけいることだろう。

と、そんなことを考えるようになったのは、中古品の売り買いにはまったからだ。

https://www.instagram.com/p/BN4nBS9hByw/(昨夏の机まわりにも大量のモノが、、今もほとんど様子は変わっていないけれど、この中で本当に必要なモノはどれだけあるだろうと毎日ぼんやり考える)

自分の中に根付く「もったいない」思考。

昔から「もったいない」の概念が好きな私は、無駄なものが生まれずに済むと嬉しい。例えば、高校受験が終わったときに、コブクロの持っていないアルバムを買ってもらえることになったときも、あえて全部中古品を買った。

そういうことをする心理の裏には何があるのか、考えてみると、

  • 新品を買ったとしても、しばらく家で保管していたらどうせ年季が入る
  • 安く買える
  • ほかの人にとっては不要なものを引き取ることでお互い嬉しい。需要と供給のパズルがはまる感覚が気持ちいい。
  • たまに、予期せず初回盤・初回プレス盤だったりして、ファンとしては嬉しい

というような感じかと思う。

しかし、「もったいない」というのが物事の判断基準のひとつとしてずっとあると、持っているものを手放そうという時にも「もったいない」という気持ちが働く。なので今まで、特に服などは、「あまり着ないけど、まだまだ使えるし捨てたくない」という思いがあって、長らく溜め込んでいた。

もともと家は狭いし、家族全員モノを溜め込むタイプの家だから、収納する場所がどんどん減ってきて、近年は服を買うのを抑えていた。

しかし、イケダハヤト氏の記事で、はっとした。

www.ikedahayato.com

1. 捨てずに、整理しようとしている。

もっとも特徴的なのがここです。

たとえば「クローゼットに溢れかえる服」を目の前にしたとき、みなさんはどうしますか?


……この場合、うちの妻の行動は「最初にすべての服を取り出し、部屋にぶちまける」です。

そして「季節や用途に応じて、整理しなおす」努力を始めるんですね。

……うぉぉ、それは違うぞーッ!!

それだけならまだいいのですが!

高確率でこの作業は1日で完遂されず、当面の間、部屋が逆に汚くなります。

寝室にできる服の山。そこで遊ぶ娘たち。洗濯物とごっちゃになっていく……。

今まで上記のようなことを何度も試みて、一度置く場所もない→片付けやめよう、という思考をしていた。「モノを減らさないと、収納する場所はなくなるのだ」ということに今更ながら気づいた。そして、服を捨てるのは嫌だから、中古で売ればいいじゃないか、と思い、「服も中古品で良くないか」という気持ちになった。

 

古着、服の中古品、全然いける。

今まで古着というと、自分が着たいタイプの服はないと思っていた。古着という1ジャンルだと思っていた。実際そういう"古着"の店もあると思うけど、近場の古着屋に行ってみたら、ふつうにいろんな服を売っていて、「全然これでいいじゃん」と思った。なぜ今まで活用してこなかったんだ、と思ったけど、まあ今気づけただけ良かったと思う。

ブックオフが展開する郊外型のどでかい店舗で、あらゆるものの中古品を扱っている店に行ってみたときは、そこにあった服の膨大さにおののいた。種類ごとにまとめられた服たちがずらーっと並んでいて、「世の中はモノだらけだ」と愕然とした。

中古の服たちはものによっては200円とかで売られていて、私はブックオフで4点合計2000円で服を買って帰った。ふつうの新品だったら、2000円では1着買えるかもあやしい。

 

「今の自分」に合ったモノを身につけたい。

ここ数年服を入れ替えていなかったせいで、「なんだか気分じゃない(いまいち・ださい)けど嫌いではない」という微妙なラインの服を着てばかりいた。「今の自分」ではない服を着ているような感覚。10代までは、身長が伸びて着れなくなった、というような理由で服を買い替えてきたけど、20代にもなるとそういう理由は発生しない。着れてしまうから、手放す気にもならなかった。「これでいいや」という気持ちで服を適当に選ぶことが多かった。

でも、今の自分が着たい服、今の自分に合う服を選んでいくことも大切なんじゃないか、そういうところから自分を"リニューアル"していきたい、という気持ちになっていた。でもお金がない、というのがネックになっていたけど、中古なら安い、ということで一気に服を入れ替える気になった。

 

インターネットでフリーマーケット

中古品を売るというのも、小遣い稼ぎのためにも良い。ここ数年で一気に知られるようになった、フリマアプリ「メルカリ」を使うようになった。

記憶を思い起こすと、小学生の頃はおもちゃなどをフリーマーケットで売っていた。しばらくご無沙汰していたけれど、船旅で立ち寄ったル・アーブル(フランス)のフリーマーケットを見て、「フリマが根付いている街っていいなあ」と強く印象に残った。

f:id:m_crescent:20170509221042j:plain(大通り沿いも沿岸部もフリーマーケットの出店がずらっと100くらいは並んでいた)

前述のブックオフなどの店舗だと、買取となると本当に安く買い取られてしまう。試しに服を20点ほど売ってみたら、合計で1000円ちょっと。店までの交通費+軽い食事代、といったところだ。 新品もあったにも関わらず。

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一方、インターネットでの中古品売買にかかるのは、手数料と送料。それ以外は自分の手元に入る。送料がかかる&発送が面倒なのがネックではあるけれど、確実に必要な人に届くし、入る金額の桁が違う。

東洋経済にてこんな記事も出ている。▼

toyokeizai.net

実際やってみると、値段を決めて紹介文を書いて、売れれば少し買った人とのやりとりがあって発送して、という、モノの値段には何が含まれているのか、モノはどうやって売買されるのかを学べているような気がしている。

一長一短といえども、中古品を売買するという点で、(ネットじゃなく)リアルのフリーマーケットが、いちばん直接的で売る側と買う側に利益があって良い気がしている。服などの身につけるものは、実際に手に取ってから買うのがいちばんだと思うからだ。でも、欲しい物が決まっている場合などは、インターネットのほうが見つけやすいだろう。

 

お金を介さなくてもモノが手に入る場所。

フリーマーケットは、安価ながらもお金を介してモノをやり取りするわけだけど、必ずしもお金を介さなくてもいいんじゃないか、とも思う。「物々交換」がその例だ。

ワールドおさがりセンター」と題して、「美術大学の卒業制作の廃材や卒業生の引っ越しで出る不要品から再利用可能なものを収集し、新入生と在学生に無償提供する」(TAB イベント - 「ワールドおさがりセンター 後期」より)という取り組みをやっている人がいる。

1.ワールドおさがりセンターには だれでも自由におさがりを置くことができる
2.ワールドおさがりセンターに置いてあるものは だれでも自由にもちかえることができる

置かれているものなどの様子はここから見れる。▼

togetter.com

私はここに行ったことはなくて、SNSで知って勝手に「いいなあ」と思っているだけだ。でも、こういう場所が増えたらいいなと思うし、街にひとつはこういう場所があったら、ちょうどいい距離感でモノが動いて活用されていく気がする。

 

個人での所有から集団での所有へ。

「シェアリングエコノミー」という言葉が時たま聞かれるようになって久しい。モノを大切に、共有したりしながら使うということは、消費と生産がベースになる経済においてはある意味「非経済的」な活動だ。だからこの「シェア」の動きがどこまでメインストリームに食い込むかはわからない。だけど確実に広がっている。

モノであふれかえる世の中で、もっと需要と供給のパズルがはまっていけばいいなと思う。