ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

韓国映画「タクシー運転手」の舞台・光州に行ってきた。“韓国のヒロシマ”で平和を考える。

先月、映画「タクシー運転手〜約束は海を越えて〜」で描かれた、1980年5月の民主化運動の舞台となった光州(クァンジュ)に行ってきました。行った場所やそこで考えたことを紹介します。

ちなみに日本では「光州事件」と言われることが多いようですが、韓国国内では民主化運動の契機として位置付けられているので、韓国式で「民主化運動」という表記で書きます。

 

 

光州に行きたかった理由

先日ブログに書いたように、去年見た映画「タクシー運転手」で、一気に韓国の社会や文化に興味を引き寄せられた私。

それをきっかけに初めて韓国旅行に行くことにして、せっかくの一人旅。それなら、ベタな観光地だけでなく、韓国に興味を持つきっかけになった映画の舞台に行ってみたい、と思いました。この点は、先日書いたコチャンへの日帰り旅と同じ理由と言えます。

そして、民主化運動についてはもちろん、民主化運動が韓国でどう捉えられているのかもっと知りたいと思っていました。事前の情報は少ないながら、光州には民主化運動のミュージアムのようなものや、犠牲者の墓地などがあると知り、とりあえず行ってみよう、と光州行きを決めました。たとえそういう施設が何も見れなくても、街の今の様子を見ながら昔あった出来事に思いを馳せよう、というつもりでもいました。

結果、満足行くものが見れて、感じたこと・考えさせられたこともたくさんありました。同じような関心で光州に行きたい人の参考にもなればいいなと思います。

 

光州民主化運動(光州事件)とは

1979年12月にクーデターで政権を奪取した全斗煥が、1980年5月、民主化を訴える動きを沈めるために戒厳令を発布。光州では学生によるデモに始まり市民の大規模なデモが発生していましたが、戒厳軍が武力で鎮圧。多くの市民が連行されたり撃たれたりして犠牲になりました。

参考▶︎光州事件 - Wikipedia光州事件とは 1980年5月、韓国の街は戦場だった【画像】 | ハフポスト

 

光州の場所・行き方

光州(クァンジュ・광주・Gwangju)は半島の南西部にある都市です。

アクセス方法としては、私は安さ重視で以下の高速バスをチョイス。

  • IN:西釜山バスターミナル→光州総合バスターミナル(3時間5分、16400W)
  • OUT:光州総合バスターミナル→ソウル高速バスターミナル(3時間40分、19000W)

どちらも、乗る少し前にターミナルでチケットを買いました。

また、光州はバス移動が主らしく、市内はバスがたくさん走っていました。光州総合バスターミナルの前には路線バスが止まる大きなバス停がありました。そういう意味でも、高速バスでのアクセスは比較的便利でした。

 

光州民主化運動のゆかりの地巡り

5.18記念公園
  • アクセス:地下鉄 雲泉駅から徒歩10分、バスターミナルから14番のバスで約10分・5.18記念公園前(多分)下車すぐ。※他にもありそうですが、私がインフォメーションで聞いて乗ったバスはこれでした

光州に着く前にmaps.meで地図を見ていて、名前がわかりやすかったのでまず向かってみたのは、「5.18記念公園」。1980年5月18日にデモをしていた学生と軍が衝突したことから始まったので、よくこの日付「5.18」は象徴的に使われます。軍の拠点があった「尚武台」の跡地に造られた公園なんだそう。

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5.18記念公園の大きな像。

見上げるような大きな像がありました。像の後ろ(黒い部分)に下に降りる道が続いていましたが、時間が遅かったのか閉まっていました。何か展示等があるのかと思って行ったのですが、特に何もなく。公園内の建物には、資料と、諸外国での当時の報道に関する展示が少しだけありました。資料はそれなりに役立ちましたが、他でももらえるだろうし、あんまり行かなくてよかったかな〜と思います。笑

 

5.18民主化運動記録館

カトリックセンターの跡地に2015年(確か)に開館した施設。記録館が面している大通り・錦南路(クムナムロ)は民主化運動の主な舞台となった場所で、1980年5月18日、カトリックセンター前で最初の学生デモの座り込みがあったそうです。

無料で入れますが、入り口で日本語の冊子(約170ページ!)をもらえて、中の展示や資料も見応えがあります。これが無料とはびっくり。「一人でも多くの人に知ってほしい」という気概を感じました。展示のうち7割くらいは英語併記もありました。以下にいくつか展示を紹介します。

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当時の写真と、残された靴。

大通りに残された、市民の靴。軍から逃げたり、連行された市民が多くいたことの象徴です。

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民主化運動の伝統が息づく街」。

光州の前に行った釜山の近代博物館でも感じたことですが、朝鮮半島の南部は日本に近く、昔から侵略の足がかり・抵抗の前線となっていました。そのことから、現代に至るまで、正しくないことには抵抗する・立ち上がるという気風があるんだろうなと思いました。

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新聞の検閲。

左:検閲で「赤」が入ったもの、右:検閲後発行されたもの。光州での出来事は当時報道も規制され、他の地域に事実が伝わらなかったといいます。特に、真ん中にあった詩がかなり削られています。見出しに黒塗りの部分もあります。
ちなみに、ちょうど1980年頃までは韓国でも漢字が出版物に結構使われていたようです。

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民主化運動を描いた映画・漫画

「タクシー運転手」も右に入っていますね。でも、昔から映画や漫画で民主化運動が描かれてきたというのは意外でした。(展示の詳しい内容はわかりませんが)

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日本での運動を伝える映像。

民主化運動が起こった当時、日本でも金大中氏の解放を訴える運動が行われ、数十万の署名が集まったそう。その運動の様子を映した当時のミニドキュメンタリーのような映像(日本語)が流されていました。日本で80年代というと好景気・バブルの印象だったので、こんな運動もあったとは意外でした。

見応えたっぷりの展示で、行けてよかったです。少しでも歴史に関心がある人や、他の用事で光州に立ち寄った人にも行ってみてほしい場所です。

 

国立アジア文化殿堂 旧全羅南道庁舎、5.18民主広場

街の繁華街の向かいにある、以前は行政の建物が集中していたこの地区。今はその建物を生かして様々な文化施設にしているようです。

デモなどの舞台となった噴水が今もあります。しかし今は、噴水で交差する通りの1つが歩行者専用のものになったようで、広々とした広場になっていました。夜には噴水がライトアップされていたり、若者が行き交ったりしていて、ここで40年前に起きたことを考えて、より「平和だなぁ」と感じました。

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噴水のある、5.18民主広場。

そしてその広場に面している、全羅南道庁舎。「光州ビエンナーレ」が開催される「芸術の街」なだけあって、今は民主化運動現代アートで伝える展示がされていました(入館費など無料)。この展示は期間限定なのか、常設なのかはわかりませんでしたが、とても興味深いものでした。また、私が行った時は期間限定で周囲の建物内も見学することができました。

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全羅南道庁舎。

旧庁舎内の展示は、光州の街の歴史に始まり、民主化運動の出来事順に様々な展示がありました。その一部を紹介します。

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デモの様子を再現した映像に囲まれます。

私が一番感心したのは、この展示。噴水を囲んで市民のデモが行われたのを再現していて、写真では伝わらないですがほぼ360度が映像で囲まれ、音の迫力もすごい。まるで自分が噴水の中心からデモを見ているかのような気持ちになります。

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バスやタクシーのデモの再現。

こちらは、タクシー運転手が殺されたという噂に憤った運転手たちが、大通りに展開する軍に相対してバスやタクシーで前線に立ち抵抗した出来事を表現したもの。ついているライトが明滅したり、エンジン音が鳴っていたり。

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靴が天井からぶら下がっています。

たくさんの靴がぶら下がるこの空間。記念館でも展示があったように、連行されたり逃げたりした市民の靴がたくさん道に残されていたことが、こちらでも象徴的に表現されています。

記念館と旧庁舎で、説明される内容は似ていますが、アプローチが全く違うので、どちらもぜひ見てみてほしいです。

 

光州で感じたこと・考えたこと

韓国における「光州民主化運動」の捉え方

私が知りたかった、韓国における民主化運動の捉え方については、記録館でもらった冊子の序文にそれが象徴されていると思います。

光州市民が、韓国に自由、民主、正義の権利を確立するため、軍事独裁政権と対立してから30余年が過ぎ去った。その後、軍事政権は光州市民の民主化運動を反政府団体に操られた反乱と呼び、光州抗争の事実を歪曲してその隠蔽を図った。
しかし、5・18光州民主化運動は、1980年以後、国家に民主化を呼ぶ動機 となっただけでなく、文民政府の誕生にも決定的な役割を果たした。市民の大虐殺の責任を負うべき人々(市民大虐殺の主役)は法の名の下に裁判に掛けられ、彼らの罪は歴史に記録されることとなった。また文民政府は、光州の民主化運動こそ大韓民国の民主主義の礎であると公式に認め、その日を国家の記念日とした上で、公式にこの運動の再評価を行った。ゆえに我々は1980年5月の光州民主化運動当時の状況と真実を全国に具体的に広め、この精神を受け継ぐ努力をしていかなければならない。

引用元:5.18民主化運動記念館『5.18民主化運動』日本語版 p9

 

「当たり前じゃない平和」を感じる場所。広島と似てる。

今は普通の街でも、昔は多くの人が犠牲になった場所。街並みを見て歩きながら、当時に思いを馳せる。昔あった出来事だけど、風化させたくない。伝えたい。・・・こんな光州のあり方は、日本でいうと広島にとても似ていると思いました

光州の民主化運動は、上記で引用した文章のように、のちの韓国の民主化に繋がったものとして評価されており、その精神は国のアイデンティティの一部になっていると感じています。

日本では、「世界唯一の被爆国」として「原爆は良くない」という認識は共有されていると思います(原発や核保有となると微妙だけど…)。広島の原爆ドームは世界的に知られているし、平和資料館を世界中の人が訪れています。今も遺骨が出てくることもあるし、街を歩けば原爆に関する逸話を伝えるモニュメントがある。

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今年5月、広島駅近くの「京橋」近くにて。原爆に耐えた橋だそう。


今、不要な恐れを感じずに、安心して日々を過ごせることは、当たり前じゃない。先人の犠牲や努力があって今がある。そんな貴重な「今」を、自分たちはどれだけ生かせているのか?・・・そんなことを考えて、背筋の伸びる場所。広島も光州もそんな場所だと感じました。

 

歴史を伝える、芸術というアプローチ

韓国は社会派映画も人気で、歴史的出来事をタブーとせずに描きながらもエンタメとしても面白いのですが、同じようなことが芸術についても言えるのかもしれない、と思いました。

記録館のように、当時の“実物”や模型を介して事実を伝える場所もある一方、旧道庁の展示は、様々な表現を介することで、感覚的にもより伝わるようになっていると思いました。芸術ってこういうことができるんだな、と視野が広がった気がします。現代アートにも少し関心がわきました。いつか光州ビエンナーレも行ってみたいかも。

 

光州、行ってよかったです。民主化運動についても、もっと知られてもいいんじゃないかなと思いました。韓国に行く機会があったら、ぜひ少しでも、光州のことも考えてみてください。

 

追記:光州中心部、民主化運動ゆかりの地の地図

光州でもらったパンフレット類のうち、民主化運動関連の地図の写真を貼っておきます。光州に行く方の参考になれば。

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パンフレット「レッツゴー!光州」の一部。

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冊子「光州の5月を歩こう」付録ガイドマップの一部。


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