ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

「ひとと同じであることを諦める」

今世は諦めてくださいという言葉は、聞く人によってはネガティブな言葉に響くのかもしれない。諦めるなんて絶対にいけない、努力が足りない、根性が足りない、ひとは頑張れば必ず報われるのだという言葉を信じたいひともいるのだと思う。しかし、どうやら、私は違うみたいだ。私の場合、諦めるほどに軽くなり、諦めるほどに自由になる。いまの自分は、自分以上でもなければ自分以下でもない。これが自分なのだから、この自分で生きるしかないじゃないかと、ある種の清々しさが湧き出してくる。諦めるということは、生きることを諦めるということではない。それは、きっと「ひとと同じであることを諦める」ということなのだと思う。ひとと同じであることを諦めた先に見えるもの、それが、もしかしたら「自由」なのかもしれないと思う。
今世は諦めてください。 - いばや通信 

ブログのタイトル「ことばあつめ。」というのは、私がはっとした言葉やその瞬間をここに集めたい、というような気持ちから付けたように記憶している。でも、旅から帰ってきて、タイトル変えようと思ってたんだけど、どう変えようと思ったのか今は思い出せない。いばや通信を読んで、はっとしたから。 

 

私はどうしても、「自分を生きる」覚悟ができない。

こんなことをして、どう思われるのか、気になる。嫌味を言われるんじゃないかと思ってしまう。そんな私の心理の裏にあるのはきっと「絶対的不信」だと思うようになった。たぶんちゃんと、自分を信じ、人を信じたことがほとんどない。いや、ちゃんと信じていても、それを「信じる」ということだと認識したことがない。

「自信」というのは、「自分を信じる」と書くわけだけど、その自分ってなんだ? 漠然とそんな疑問を抱いていた頃に出逢った言葉がある。

 

「自分に正直であれ」というのは、短期的な自分に従うことではない。

People always say ‘be true to yourself.’ But that’s misleading, because there are two selves. There’s your short term self, and there’s your long term self. And if you’re only true to your short term self, your long term self slowly decays.

http://www.humansofnewyork.com/post/78679045171/i-wish-id-partied-a-little-less-people-always

 Facebookでよく知られているページ「Humans of New York」(現在約1817万いいね)。NYで様々な人に街頭などでインタビューして、写真と言葉を掲載する。人の生き様を垣間みれる大好きな作品。ニューヨークでニューヨーク公共図書館(New York Public Library)に行ったとき、ショップでこの本を見つけた。「そっか、Humans of New Yorkの舞台に来てるんだ」とはっとして身震いしたのをよく覚えてる。

https://www.instagram.com/p/BL1Z3JyhrTz/

Humans of New York: Stories

Humans of New York: Stories

 

ざっと訳すと、こんな感じかと。

人はいつも「自分に正直であれ」って言う。でもそれって誤解を招きやすい。2つの「自分」がいるから。短期的に見た「自分」と、長期的に見た「自分」。短期的な自分にだけ従っていると、長期的に見た自分は徐々に腐っていく。

 私はいつも、自分がふたりいるかのように、気分にムラがでる。一時は「行きたい!」と思ったイベントとかでも、すぐ、「めんどくさい、家出たくない」となる。

「本当の自分」というのを、後者だと考えたら、<自分に正直である=家を出ないこと>になる。でも、たいていこういうときは、後々行かなかった自分がいやになる。ああ、自分って行動力ないめんどくさがりなんだ、このまま時がぼんやり流れて置いてかれるんだ、、というふうに。それはまさに、上で言われたように「腐っていく」ような感覚。

そんなことばかり思っていたときに出逢った上の言葉は、がつんと来た。私は、「自分に正直でいる」ということを見事にはき違えていた。短期的な欲求は、長期的に見た「本当の自分」をまやかすノイズでしかないんだ。信じて従うべきなのは、ノイズにかき消されそうな、小さな声。

恥を捨てて
意地を捨てて
この身一つになれば
胸の奥の小さな声が
そっと聞こえてくるよ
その声を信じたい

船旅で出逢った"みこちゃん"の歌、「あなたがいるから」。 ああ、そういうことだよね、と心底しみ入った。

 

自分を生きる、という「諦め」

自分を受け入れて、自分の中にある可能性を信じることが「自信」で、人を受け入れて、その人の中にある可能性を信じることが「信頼」だとするなら。

「自分を生きる」ということは、きっと「自信を持って、自分の道を歩いていく」ということで。でもどうしてもどこかで、"普通と違う"自分を受け入れられていなくて、胸をはれていないんだろうな。普通というのも、幻想、ノイズかもしれないね。

「ひとと同じであることを諦める」。諦める、という言葉にあるのは、軽さ。それでいて、心身の底にすとんと落ちる、背筋が伸びる感覚。それは、「覚悟」という言葉の重さとは真逆だけれど、なんだか、しっくりくる。

覚悟できない、と、これを書き始めたときはネガティブに思っていたけど、諦めよう、と思ったら、ちょっとポジティブになった気がする。

 

こうやって、ことばをあつめていきたい。

ほこりをかぶった本を本棚から取り出して開くように、ずっと書こうと思っていたこのブログを、久々に開いて書いてみて。

こうやって、今わたしが考えることや見る世界を構成してくれる、だいじなことばたちを、ここで自分なりに手元においてみたい、と思ったんだ、と、ブログのタイトルをつけたときのことを思い出した。

船旅を通じて、「私は"書く"人間なんだなあ」というのを再確認した。だから何かしら自分の思うことを書きたいという気持ちはあった。だけどやっぱり、「こういうこと書いたらどう思われるんだ」みたいなノイズでいっぱいになっていた。

諦めの一歩。