本当の幸せって何だろう?と思わずにはいられない。映画「家族を想うとき」鑑賞録。
イギリスを舞台に、個人事業主として働き疲弊しながらも奮闘する家族を描いた映画「家族を想うとき」を見てきました。舞台は日本から遠いかもしれないけど、いろんな場面で日本とも共通した課題や葛藤が描かれていたと思います。内容や感想をまとめてみます。
概要・登場人物
主人公のターナー家の人々は、こんな感じ。
- リッキー(夫):個人事業主としてフランチャイズ契約先のもとで、宅配ドライバーとして働く。
- アビー(妻):パートで高齢者・障害者の訪問介護をしている。
- セブ(セバスチャン)(息子):高校生。成績優秀だったが、学校に行かなくなり、ストリートグラフィティや喧嘩、万引きをしてしまう。
- ライザ(娘):小学生。学校では優等生で、家族を気遣う。
印象に残ったこと
非行に走る息子セブの苦しさに共感。本当の幸せとは?
個人的に一番印象的だったのは、セブが万引きで警察に捕まり、父リッキーが警察に呼ばれた上で、警察官がセブを諭す場面。
「こうやって君を思って来てくれる温かい家族がいるだろう。世の中には家族がいない子もいる」「ここで改心しないとずっと惨めな生活になる。改心すれば、これから学校に行って就職して家を持てる」というように警察官がセブに語るのですが、セブの心に届いたようには見えませんでした。
私が日頃から思っている疑問や葛藤ととても重なって、セブに代わって何か言ってやりたい気持ちになりました。例えば、
- 「温かい家族」とは?家族はいれば幸せなのか?
- そうやって他の「明らかに不幸な人」を引き合いに出して、こっちが自分なりに持ってる苦しみや辛さは聞いてくれないのね
- 学校→就職→家・家庭をもつというのが必ずしも幸せなのか?その結果の一部が今の家の状況なんじゃないの?
とか。でも、こういう葛藤を言葉にできないのも、何か言いたくても言えないというのもとても分かるから、セブと一緒に複雑な気持ちになったような感覚があった場面でした。
また、もう一つ葛藤を覚えたのは、かつてはローンを組んだ家の契約もあったのに反故にされて借金を負い、それでも「いつまでも家賃に追われる賃貸暮らしなんて嫌だ」とマイホームを求めるリッキーと、それを支えるアビーの姿。
その姿は、わかる面もあるのですが、「マイホーム=善・成功・幸せ」なんだろうか?そのために大切な時間を犠牲にしていないだろうか?と疑問に思いました。とてもありふれた問いですが、「本当の幸せって何だろう」と思わずにはいられませんでした。正直、その思考にとらわれてしまっていることが、しんどさや貧しさの原因になってしまってるように見えました。
リアルな宅配業のブラックさ
朝から晩まで働き、行動は徹底的に管理され、トイレに行く暇もない。仕事中に怪我や強盗にあっても、保障は一切なし。契約している、実質的な「雇用主」は、客の満足度やスピードを重視していて、ドライバーのことは人として向き合ってない。
作品の中で描かれるこんな状況は、世界のいろんな場所でごまんとあるはず。でも、なんとなく事象として知っているだけで実態を詳しく知らない人も多いでしょう。
そうやって知ってか知らずかスルーしてしまっていることを、「こんなことが起きているんだぞ」と、映画にすることで突きつけられているように思えました。エンドロールをざっと見た感じだと、どうやら実際に配達員として働く人たちに取材もしたようなので、映画で描かれた内容も結構リアルなのではないかと思います。
ちなみに、原題「Sorry We Missed You」とは、宅配便の不在票に書いてある文言のようです。(要は多分、「(直接・ご要望通り)タイミングよくお届けできずすみません」的な意味。)映画を見るまでは、いまいちどういう意味の表現なのかわからなかったのですが、映画を見てとても納得いきました。日本でも再配達が多いことが問題になっているように、客が求める過剰な利便性や宅配業の手間・疲弊を表現している題名だと思いました。
人間性や家族のあり方が描かれる
しかし一方で、そんなしんどい「状況」のみにフォーカスするのではなく、しんどい状況に置かれた人たちの「人間性」にフォーカスしている物語です。
仕事だけでも大変なのに、子どものことで学校や警察に呼ばれたりするリッキーたちは、さらに疲弊して、苛立ってしまいます。親と過ごせる時間がほとんどない子どもたちは、不安からいろんな行動に出ます。
一方で、たまに家族で食卓を囲んだり、親子で時間を過ごしたりなど、ささやかだけど温かい家族の時間を過ごす様子もあり、ほっとします。そんな温かい時間ができるだけ長く、いつも持てることを願いたくなります。
地域のコミュニティがそれほどないと、仕事と家庭は分離していて、人のその場の一面しか見られないことが多い昨今。そして、ニュース等の報道で知るだけでは、人の一時的な状態を切り取ったものしか扱われなかったり、数字やデータとしてしか見れません。この映画は一家のメンバーのいろんな人間関係を描いてくれるので、それぞれが立体的に、より深く想像できます。人のあり方を多面的に想像し捉える必要性も感じます。
ただ、特に子どもたちが「昔みたいに戻りたい」と言うのには、少し違和感を覚えました。
昔というのは、リッキーが宅配ドライバーを始める前、それか借金を抱える前のことだと思うのですが、前者だとすると、彼は前からそれなりに大変な仕事を転々としていたと思うのです(映画の冒頭、面接で経歴を語る場面くらいからしかわからないのですが)。1日14時間、週6日働く宅配ドライバーとしての状況が劣悪過ぎるのはわかるのですが、だからと言って「昔みたいに」といっても状況が良くなるとは思えません。
必死で疲弊している人々は、日本社会でも身近。
この映画の舞台はイギリスですが、グローバル化の時代だからこそ、映画で描かれるようなしんどさや社会課題もグローバルで普遍的なんだな、と実感しました。
両親とも朝から晩まで働きづめで子どもと過ごす時間が短い、というのはきっと日本でも多くある課題だと思います。そういう状況で、子どもだけでは朝起きれなくて遅刻・欠席が重なったりすることが、些細なきっかけとして、不登校や退学につながっていく。学校というセーフティネットから漏れてしまう。そんな課題をこれまで、ボランティア等を通して見てきました。そのことを如実に思い出させられた映画でもありました。
こういう状況に置かれたら、自分だったらどうなっていたか?と想像する力や余裕を持っていたいとも改めて思いました。
どんでん返しや派手な場面はありませんが、いろんなことを考えさせられる映画で、見応えがあってよかったです。機会があればぜひ。
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