ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

ピースボート乗船経験者、3年半越しに「希望難民ご一行様」を読んでみた。【前編】

2016年8月〜11月に「ピースボート」で地球一周の船旅をして、3年半ほど経ちました。

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帰国・下船してしばらくは、ピースボートコミュニティの雰囲気をいろんな側面で引きずっていたけれど、最近はほとんど忘れ去っていました。

でも近頃改めて、「ピースボートのあのコミュニティって何なんだろうな」と漠然と思っていたら、社会学者・古市憲寿氏の著書「希望難民ご一行様」ブックオフで遭遇。

この本は、2008年当時大学院生だった古市氏がピースボートに乗船した時の経験・調査をもとに書かれています。

私は確か、フルクルーズ乗船前に友人にこの本の話をされ、「読んだことないけど、何書かれてるか知りたくない(なんか怖い)から、まだ読まなくていいや」と思ってそのままにしていました。

今回は、若者の共同体に着目していることも含め、ちょうどいい内容・タイミングだったので、買って読んでみました。

その感想を書いたら、思ったより長くなったので、今日は前編ということで。

 

いろんなことが、8年経ても「あまり変わってない」のがすごい。

古市氏がピースボートに乗船したのは、2008年・第62回。私は、2016年・第92回。8年間も開いているのに、本で描かれている船の様子は「あまり変わってない」と思いました。それが「すごいな」と単純に思いました。

船内のイベントや「自主企画」など日々の過ごし方もそこまで大きな違いはなさそうだし、乗船する若者たちの4タイプの分別(セカイ型・文化祭型・自分探し型・観光型)は秀逸かつ変わってないと思いました。私は完全に自分探し型ですね…。

また、乗船に至るまでに船賃を貯めるため行われる、ポスター貼りや内勤など有償の「ボランティア」や、そのボランティアメンバーが集う「ピースボートセンター(略称ピーセン)」なども、私が知っているものと全く一緒。物価も最低賃金もそれなりに変化しているはずなのに、ボランティアの対価が全く同額で驚きました。今はどうなんだか…。笑

しかし、「私が乗った頃とは違う」ということもいくつかあったし、私が乗った頃と今も、きっと違う。そんな違和感と、共感はちょうど半々くらいでした。

なので、違和感を覚えた点と、共感した点をそれぞれ挙げてみます。

 

違和感があった点

私にとっても未知&謎の「9条ダンス」

この本で描かれるピースボート像の中核にあると思われる、「9条ダンス」。私は、そんなダンスの存在自体初めて知りました。全く知らないものなので引用しておくと、以下のようなものだそう。

「9条ダンス」とは、憲法9条(平和主義についての条文)の理念をヒップホップのリズムにのせて表現したダンスだ。62回クルーズの前から準備され、クルーズには9条ダンスを教えるダンサーがスタッフとして乗船していた。練習はほぼ毎晩のように行われ、一番多い時では100人ほどが9条ダンスに参加していた。この9条ダンスは機会があるごとに披露され、船内でのイベント時はもちろん、パレスチナ難民キャンプなど各寄港地でも披露され、ダンスと同時に憲法9条を守るための署名も呼びかけていた。

(p96より)

正直、こういった説明だけ読むと「いや何それw気持ちわるww」となるのは、ピースボートの雰囲気を知らない人はもちろん、私だってそうです。多分多くの人がそうです。だから、「これが今のピースボートでもあると思われるのは心外だなあ」と正直思ってしまいました。経験者がいたら話を聞きたい。

でも一方で、私が乗ったクルーズでも憲法9条に関する自主企画をしている人(シニア世代)ならいたし、被爆者の証言や経験を伝える活動は、公式にも非公式にもいくつか行われていました。

なので筆者が感じた“政治性の濃度”みたいなものは、私の体感とは結構違います。

しかしながら、私が2週間だけ乗った90回クルーズの沖縄寄港時には、「辺野古の米軍基地のゲート前で座り込みしよう」みたいなオプショナルツアーがあって、「そこまですんの…?」と引きましたが…。

 

こんなごろ寝はしない

船の共有スペースで、飲食物も広げてごろ寝したり、部屋に帰らない「難民」の存在が紹介されていて、ちょっと驚きました。

2008年当時チャーターしていた船と今の船は違うので、共有スペースの間取りなどにもよると思いますが、「私の時はここまでじゃなかったぞ」と思いました。畳が敷いてある一角とか、ソファとかではあったんですけどね…。多分、今はもっと厳しい。

ただ、船室の方は変わらず「スラム化」する部屋が多いし(特に男子)、サンダルやスウェットで船内をうろつく若者が多いのも変わってません。

 

「承認の共同体」の負の側面

この本のテーマであり、副題にも掲げられている「承認の共同体」。他の学者たちの言葉を引用しつつ語られている説明を掻い摘むと、それは

  • 「そのままで認めあえる関係」による「存在論的安心」を確保する場
  • 得るのが難しくなった社会的承認を埋め合わせられる、コミュニティや居場所

のことを指しています(p44)。

そして、実際にピースボートで若い乗船者が得られる、友人などの人間関係・つながりは「まさに「承認の共同体」と呼ぶことができる」(p249)としていて、私もそう思います。

しかし、反論を見越して、その負の側面とも言えることを指摘してもいます。それは、「承認の共同体」が、若者を疲弊させるような社会を延命させてしまうのではないかという点。

ピースボートが与えてくれた居場所。それで「寂しさ」という承認の問題は解決できたが、「貧しさ」の問題は手つかずのままだ。むしろ、若者たちの「お金がなくても楽しく暮らしている」という、減少した経済的資本を社会関係資本が補っている様子は、全く逆のことを示している。「承認の共同体」は分配の正義に異議申し立てをするのではなく、むしろ市場を補完する装置として機能しているのである。
「承認の共同体」は、この流動的な社会においてオアシスのようなものだ。オアシスがあるから、旅人は砂漠を歩いて生きる。だけど、みんながオアシスで満足できているなら、砂漠を緑化する必要もなくなってしまう。

(p262〜263)

確かにそうかもなと思う反面、私は賛成しかねると思いました。

理由の一つは、巷でよく取り沙汰されるマズローの「欲求5段階説」を思い出したから。

人間の欲求には段階があって、段階の低い欲求が満たされると、上の欲求を満たしたくなる、という「欲求5段階説」。これ、結構当たってるなと自分でも実感があります。

で、「承認の共同体」があると、ある意味では2番目の「安全欲求」、もしくは4番目の「尊厳欲求」が満たされるのではないかと思うのです。そうすると、3番目の「社会的欲求」や5番目の「自己実現欲求」が出てくるのではないでしょうか。

確かに、「承認の共同体」のおかげ(?)で現状に甘んじられる、という人も一定数はいるかもしれませんが、高次元の欲求が出てきてそれを満たそうとする人、そのための精神的充足・活力を共同体で得て足がかりにする人も一定数いると思いました。

また、「経済的資本や分配(だけ)を求めるのは時代錯誤になりつつある」という考えも、理由の一つ。本書でも指摘されてましたが、“お金ではない、本当の豊かさ”を求めている人は多いし、私もそうなので。

政治的な、正当な分配を求める動きも必要だとは思うけれど、身近でできることをして「自分の生活を“豊か”にする」という方向性も必要です。そしてそういった、「一人ひとりが大切で、一人からでも変えられることがある」といった、自己も他者も含め「個人の力」を信じさせてくれるのがピースボートという共同体の文化だなと思っています。

 

続きの、共感した点は、こちらの記事で。▼

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