ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

自他の価値を測らずにはいられない社会で。優生思想的な考え方の話②。

昨日、誰の心の中にもあるという「優生思想」的な考え方について書きました。ここでいう優生思想的な考え方とは、「生命や生きることの優劣・価値の評価を、自他に下すこと」と言えるかと思います。

昨日書いた分は、ラジオを聞いて想起されたことを書きました。でもそれ以外にも同時に、関連することが私の頭の中で渦巻いていました。その2つのことを今回は書いてみます。

 

「命の選別」

去年れいわ新選組から参院選に出馬もしていた大西さんが、「命の選別をするべき」と動画で話したことが批判され、党から除籍されました。

www.47news.jp

大西さんとは横浜市内のボランティアで一度ご一緒したこともあり、遠い存在とは思っていません。また、この記事でもちょろっと書いた通り、去年の参院選比例代表で私はれいわ新選組に1票入れております。

だからか、ニュースなどで取り上げられてからしばらく、この件が漠然と頭の中をぐるぐるしていました。そんな時に、朝井リョウさんまで優生思想の話をするものだから、まあ繋がる。笑

話題に上がった動画は見れなくなっているので、上記の話が出た全体の文脈はわかりません。私は補助的に、AbemaPrimeの動画などで内容を確認しました。

youtu.be

マクロ的視点で経済や財政のことを見ている方だと思うので、「どう切り詰めても足りなくなる、限りある財政資源をどう振り分けるか」という話であろう、と、上記動画の内容と合わせながら推測します。

この件で思ったことを、まとまらないので羅列してみると、

  • れいわ新選組山本太郎氏が掲げている「どんな人も、生きているだけで価値がある」というようなメッセージと真逆の考えと言える。本人の中や、党内・周囲との関係では、どう“同居”してたのかなと疑問。
  • AbemaPrimeのコーナー内(上記動画の続き)で議論されてた通り、自分の生命や死に方、延命措置の有無は政治に決められる前に自分(+α、家族など)で決めるべき。その土台・制度を政治や医療の場で強化していけばいいのでは。それが先。
    だけどそれでも間に合わないからこそ、という究極的な話として大西さんは話してたんじゃないかとは思う。
  • 正直、「まあ、言わんとすることはわかるけどねぇ」と思った自分もいる。大西さんも私も、社会的弱者全てに厳しく当たっているわけではない(はず。何なら共感もしている)けど、こう思う面もあるという複雑さ。自分も、こういう話を持ち出す人も、きっと自他に厳しかったり、生きづらさがある。

新型コロナによる医療の現場の逼迫で、限りある医療機器・設備を上回る患者数が出た国では、その設備を誰に回すか、という判断(トリアージュ)がなされていました。そんな状況は、今後もいつどこで起こるかわからない。今考えるべきテーマだなと改めて思いました。

 

芸能人の自死は、翻って「私の生きる価値」を考えさせられて辛い

上記のようなことを考えている最中に飛び込んできた、有名な俳優さんの自死。(直近すぎるしなんか辛いので名前さえ書けない、、)

ファンだというわけではないけど、映画やテレビで見たこともあって、その限りでは好感を持っていました。外見も人柄も才能も、恵まれていて、そしてきっと努力の上で磨かれてもいて。爽やかさの鏡みたいな有名人の死、しかも自死なんて、あまりにも、青天の霹靂。とても重くてやり切れない。

「命の優劣・価値を考えてしまう」というテーマを考えていた最中だったから、この件も完全にそういう思考の枠にぴたっとはまってしまって。“有名・有能な”人の自死を知るたびに思うことを、普段より尚更強く思ってしまいました。

それは「なんであんな素晴らしい・活躍してる・稼いでる人が死ななきゃいけなくて、私みたいなのが生きてるの」ということ。“無意識の自分”から、翻って「お前は、何をしてるんだ」「お前も死ね」という声が聞こえるようで、自分の価値のなさを突きつけられる気がして、怖くて、辛い。

この感覚は、多分前から感じてはいたけど、今回初めて自覚した気がします。こう思ってしまうことも、きっと優生思想的な考え方に基づいているわけで。

ちょっと前も、芸能人の自死については書いたことがあります。

mizukifukui.hatenablog.com

この記事で書いた、「残った出演作にも影を感じてしまって、心底楽しむことができなくなる」ということは、今回もとても思いました。だけどこのこと以外にもなんだか心に重くのしかかるものがあるなと漠然と感じていたのが、今回明らかになったと思いました。

何が彼を死に至らしめてしまったのかはまだ何もわからないけれど、どんなことであろうと、「こんな人が死ななければいけない社会はおかしい」と思います。そして「どんな人の自死も同じくらい平等に悲しくて、それが毎年沢山起きている」ということも改めて胸に刻みたいです。

 

昨日も書いたように、「生きているだけで価値がある」とはなかなか思えない社会。自他の存在価値を測ろうとする、自分の内外からの力との、健全なバランスを見つけたい今日この頃。