ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

自分の直感と可能性を信じたくて、私はピースボートに乗った。

世界一周に興味のなかった私が世界一周に出るまで。

ピースボートとの出逢いは2015年11月。それまで、「地球一周の船旅」のポスターは見かけていたけれど、「世界一周」に憧れたことがなかった(乗ってからもそうだった)私は、縁のないものだと思っていた。

https://www.instagram.com/p/BPPRUeBlCBv/

それが変わったのは、Facebookで、知り合いの知り合いがシェアしていたピースボート90回クルーズの体験乗船のページを見てからだ。

http://www.pbcruise.jp/gu/90flyer.pdf

2週間で5万円。3食つき。破格とはこのことだ。このとき私は、何もせずにいる後ろめたさから家を飛び出したかったが、お金がなくてもんもんとしていた。でもこれなら行ける。期間もちょうどいいし、行ったことのない国に3つも行ける。わくわくした。

ピースボートは今だにものすごくアナログで、問い合わせ先も電話しか書いていない。電話は嫌いだけど、がんばって渋谷のヒカリエで夕暮れの街を見ながら電話したのを覚えている。

 

「こういう人がいる場所なら大丈夫だな」

電話をとったのは、あとあとフルクルーズでも一緒になった、2歳下のスタッフの子だった。実際にかかる金額やスケジュールなどわからないところを手短に確認して検討しようと思っていただけなのに、「今まで海外どこか行ったことありますかー?」という話から中東の話をして盛り上がり、スタッフの子もピースボートでヨルダンに行ったことや、エジプトに寄港する予定だったのがクーデターの影響で変更になりヨルダンになったとか、私も初めて中東に行ったのがその時期で、私もエジプト渡航を諦めざるをえなかったとかの話をした。

「船の上では自主企画っていうのがあるので、中東の話とかしたらいいと思いますよ!」と、その子に教えてもらった。船上で過ごす日に、自分で申請した時間場所で、自分の趣味について教えたり一緒に何かしたりと多彩な企画を行える「自主企画」。ちょうど、中東について今まで見てきたことなどをどうにか伝えたい、身近に思ってほしい、という想いを抱えながらも、それを実際に実現できる場がなくてくすぶらせていた。これだ、と思った。

10分以上楽しく話をして、歳下の子でもスタッフとして働いていてフレンドリーに話をできる「対等」な関係性も魅力的に思えた。大学生として大学生としか関わらずに過ごしてきたけれど、これから目指していきたいモデルが見えなくて模索していたから、いろんな経験を経て集まるいろんな人々と出逢いたいという想いにもなった。「こういう人がいる場所なら大丈夫だな」と、電話を切ってすぐ思えた。

 

充実した2週間に、希望を見出した。

 2015年12月17日、横浜・大さん橋。いつもはだだっぴろく見える港の建物内は人で埋め尽くされていた。こんなにも多くの人がいるとは全く知らなかったので面食らった。バックパックを背負って税関を通過すると、船のスタッフが荷物を持ちましょうかと聞いてくれたり、案内したりしてくれる。手厚い待遇にここでも面食らった。

船室に案内され、荷物をおき、同室の子と顔を合わせ、デッキに上がった。何度か来たことがある大さん橋だが、船から港を見たのは初めてだった。出港式で「いってきまーす」「いってらっしゃーい」のやり取りを何度かしたあと、船は少しずつ港を離れていった。徐々に小さくなっていく見送りの人たちの姿がしっかり見えて、その切なさに、2週間しか日本を離れない私も泣けて仕方なかった。

https://www.instagram.com/p/BQsdXn7Av9m/

2週間、新鮮なことばかりだった。船は暇なのかと思って持って来た本数冊は、序盤になんとか1冊読み切っただけだった。最初の寄港地沖縄を過ぎ自主企画を入れられるようになってからは、毎日企画を入れた。企画担当のスタッフさんに協力してもらい、用意していた中東諸国の写真のデータを見せながらトーク企画をしたり、私も入門レベルのアラビア語イスラームの関わりの話をしてみたり。畳敷きの場所を取って座談会てきな企画もやった。

もちろん自分でやるだけではなく、水先案内人(ゲスト講師、アーティストなどのこと)の講座に行ったり、他の乗船者の企画に行ったりした。夜は同世代で集まって飲み会をしたり、語らったり。普段の私の生活では考えられないくらい、毎日予定がてんこもりで充実していて、心も満たされた。

私が乗っている間の寄港地は、沖縄、中国・厦門(アモイ)、ベトナム・ダナン、シンガポール。寄港地ごとに全然違う過ごし方ができた。沖縄では友達に会いに来てもらった。厦門では女子4人でのんびりしつつも充実した時間を過ごした。ダナンは、同世代の人たちは皆現地の若者と交流するオプショナルツアーを取る中、私は親と同い年くらいのシニアさんとバスに乗ってホイアンを観光した。シンガポールは、若者10人くらいでがやがやしながら歩き回った。

https://www.instagram.com/p/BQseajQgF2f/

(ダナン出航のとき。現地の若者の見送り。)

寄港地で見たもの感じたものもたくさんあるけれど、私にとっては船上での時間がとても思い出深かった。自主企画をやるといえば「船内新聞で見た!」「行くね!」と応援してもらえた。見に来てくれた子からは「もっと知りたい」と言ってもらえ、手応えを感じた。ワークショップを毎日のようにやっていた乗船者の方の自主企画には何回も行って、ポジティブさを少し取り戻せた。

同じ体験クルーズで乗った5人と、担当スタッフ2人で、2日に1回くらいホームルーム的な時間を取って、船の過ごし方や今考えていることを話したりしていた。この時間があったのはとても大きいし、自主企画をやるというときも背中を押してもらった。

2週間とは思えないくらい、濃密な時間。船を降りてからも会いたいと思える友達が何人もできた。何より、自分でもやれることがある、と無力感から少し脱せたのが収穫だった。

印象的だった言葉がある。病に倒れてから半身麻痺ながらも、タフでポジティブで、若者とも分け隔てなく話してくれるおばあちゃんがいた。シンガポールでの下船前、みんなと別れを惜しんでいるときに、「おばあちゃんっていうのはね、孫が生きてるってだけで嬉しいのよ」と話してくれた。もうそれだけで、全てが肯定された気がした。

https://www.instagram.com/p/BJNhQELDg3c/

 

自分の直感と可能性を信じたくなった。

船を降りてからも、いつかフルクルーズでなくてもいいからまた乗れたらいいな、と思った。みんながお互いを認め応援しあうあの空間が恋しかったし、もっとあそこでやれることをやってみたいと思った。だけど、地球を一周するフルクルーズは104日間。3ヶ月半はあまりにも長過ぎると思っていた。それまで、海外にせよ国内にせよ、家を離れるのは1ヶ月間が最長だった。

でも、ポスター貼りや事務作業の手伝いが、直接船賃の割引額につながるボランティアスタッフ制度もある。お金は稼げなくても、こっちならできるかもしれないと思った(結局全然向いてなかったけど)。

自分の可能性を、信じたかった。100万をかければ、私も働けるようになるかもしれないと思ったし、向き合うべきものとも向き合えると思いたかった。自主企画や船内チームの活動、講座、多様な乗船者との出逢いから、インプットもアウトプットもたくさんして、机上の空論でないリアルなことを学びきれると思った。いつしか、1ヶ月を超えて家を出てどうなるか、自分で自分を試してみたくもなった。

自分の直感が、「こっちだ」と差すのを感じていた。まあ、まだ社会に出たりすることに向き合いたくないという逃げも大いにあったと思うし、実際にフルクルーズ乗ることにしてからも「これも逃げなんじゃないか」と思ったらピースボートに乗ることからも逃げたくなったときもあった。それでも私は、完全に自信をなくしていた私を少しすくいあげてくれた船という空間に向けて、もう一度、自分の直感と可能性を信じてみたくなった。

90回でお世話になったスタッフに「まだキャンセル料かからないから、とりあえず書いちゃえ!」と、ピースボートセンターで書いてしまった申込書が、結局今につながった。