ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

3年越しに味わうジャマイカのコーヒー。ジャマイカでの思い出と今の私を重ねて。

最近牛乳を摂らないようにしていて、数ヶ月前からはコーヒーも何も入れずに飲むようになりました。それでコーヒーの苦味や酸味がわかるようになり、最近「自分の好みの味」がわかるようになってきました。

これまでは、「別に好きじゃないけど、カフェで注文するための、安くて定番の選択肢」でしかなかったコーヒー。最近はいくつか好みのコーヒーや「良いコーヒー」がわかってきたことで、コーヒーが好きになってきています。

そんな中起きたことを、3年前乗ったピースボートの思い出も重ねつつ書いてみます。

 

私が好きなのは、苦味と深いコク。

これまでブラックのコーヒーは、苦くて飲めなかった私。お店でコーヒーを頼むなら、できればカフェオレ。そもそもコーヒー自体もそこまで好きでなく、お茶派でした。

しかし牛乳を避けるようになって、コーヒーもブラックで飲んでみたら、意外といける。というか、カフェオレでは得られなかった、頭のごちゃごちゃが落ち着く感覚がブラックコーヒーでは得られることを知りました。

そして、ファストフード店のコーヒーは酸味が強いことが多くて、「これじゃない感」があることに気づきました。そもそも私は飲み物に酸味など求めていなくて、抹茶や緑茶も好きだから、苦味のあるコーヒーの方が良いと気づきました。

また、大好きな「まめや」のコーヒーには、深い余韻がある。それが違いだと気づいてからは、深さやコクも欲しいなと思い始めました。

そんなことを考えていたら、時々「コーヒーが飲みたい」と思うようになってきたのです。これまでは、「カフェの入場料」か「眠気覚まし」でしかなかったのに。美味しいコーヒーを飲んだ時に、食道から鼻・頭に抜ける香りや味の余韻を、体が求めるようになってきてしまった。多分タバコも同じように依存していくんだよなと思うとちょっと怖いけど。

 

3年ぶりに思い出した、ジャマイカで買ったコーヒーの存在

そんなわけで、初めて「自分でコーヒーを淹れて飲みたい」と思うようになりました。親が買って家にストックしているコーヒーは、やたら酸味があって全く好きじゃない。自分で買いたいけど、地元の好きなコーヒー屋は今日は休み。でも今日飲みたい。

と思っていたら、「そういや、ピースボートで買ったやつ開けてない」と思い出しました。

ジャマイカで買った、ブルーマウンテン。当時は、「ジャマイカって言ったら有名だよね」というだけで買ったから、帰国しても存在を忘れてしまっていました。

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埃をかぶった袋の中に入っていたのを出してみると、賞味期限は2年以上前。でも密封されてたわけだし、いけるのでは?1回淹れてみて考えよう!ということで、淹れてみました。

初ハンドドリップで、勝手もわからない。十分な道具もない。だけど、ペーパーの袋に書いてあった説明や、昨日調べたコーヒーの淹れ方を思い出しつつやってみました。

 

3年越しに味わうブルーマウンテン

薄かったら嫌なので20g分くらいの粉を入れて、まず1杯淹れてみたら、深みのある濃い色。やり方は適当な割に全然いける。きっと元の質がいいんでしょう。そして美味い。ほんの少し酸味がきたあと、喉の奥に広がる苦味とコク。

好みの味であることに「うわ、これだよ」と驚きつつ、これがジャマイカの味かと、あの日あそこで買ったものを今味わってるんだと、3年前のジャマイカでの1日に思いを馳せる。心底救われた、そしていろんなことを感じた1日だった。

時を越えて届いた、味と思い出と、その間に過ぎた3年を思う。

 

2016年10月、ジャマイカ・モンテゴベイでの1日

いかだの川下りで「生き返った」

ジャマイカの港町・モンテゴベイに寄港した朝。甲板に出たら、快晴の空の下、見事な青い海。その前に寄港したバハマでもびっくりしたけど、カリブ海は本当に綺麗。

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船から見た海。

私はその日、友人3人とともに、いかだの川下りに出かけることにした。港からタクシーに乗り、森の中の施設に到着。2人1組で、竹のようなものでできた細長いいかだに乗る。船頭さんが前で漕いでくれる。

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いかだを準備している船頭さん。

当時、船上での生活が2ヶ月以上続き、私は参っていた。料理もできず、ただ食べ物を与えられるだけ(美味しいけど)。自分の生活を自分でできない感覚。

1人になることができない船の上。自分の部屋だって4人部屋だから、部屋に1人になれたって、いつ誰が部屋に入ってくるかわからない。だから気が抜けない。

土がない、植物もほぼない。日々海を見ていたら、「海に放り出されたら、人間は生き延びることができない」と悟り、もともと海より山派でそこまで好きじゃない海がもっと怖くなり、森や大地が恋しくてたまらなくなった。気が狂いそうだった。精神的にいっぱいいっぱいだった。

 

そんな状況で行き着いたジャマイカ。ジャングルのような森の中を、川の流れだけで進むいかだ。日本にはあまりなさそうな、平地を流れる川は、前日の雨で増水して濁っていたけど、ゆったりと流れる。鳥や虫の鳴き声と、たまにオールと水面が当たる「ぽちゃん」という音だけがする。

車の音さえしない。人の気配もない。だけど、川の上から森を見ると包まれるような感覚。

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心底、安心した。こわばっていた体の力が抜け、心も緩むのを感じた。それと引き換えに、体の中心から湧き上がる、「これだ」「この感覚だ」という納得感。「人間は大地の上の生き物だ」と私は確信した。1時間ちょっとの川下りで、私は生き返った。

その後もなんとか船旅を続けられたのは、いかだで得た心底ピースフルな時間のおかげだったと思う。それほどに、救われた感覚があった。

 

船での生活は、海の具合によっては揺れもあるし、そうでなくても、なんだか「浮いている」ような感覚があった。地に足がついていないような浮遊感が落ち着かなかった。だから、川の上と言えども、大地を、生を感じて、安心できたんだと思う。

 

船頭さんの仕事の考え方に、胸打たれる

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いかだを漕いでくれている船頭さん。

船頭さんは、私と同い年くらいの子どもがいるという、50歳くらいのおじさんだった。森の中の客商売を続けて、20年以上。客が来なければすごく暇そうだし、やりがいなんてあるのかなと、私は正直穿った見方をしていた。だけどおじさんは、こうやって世界中から来る人と出会えて話ができるのが好きだから、「I love my job」と、嘘偽りのない表情で言っていた。

日本で、心から「この仕事が好き」と言い切れる人がどれくらいいるだろうか。

こんな素敵な自然の中で、好きな仕事をできているなんて、素晴らしいな、かっこいいなと思った。きっと彼は何も犠牲にしていないんだろうなと。真に豊かな人間のあり方を見た気がして、心が震えた。

おじさんが作る雑貨に刻まれた、「IRIE(アイリー)」という文字。ジャマイカの言葉(英語を基にした口語「パトワ」)で楽しい・嬉しい・幸せ・平和など“良い”ものに使われる言葉らしい。あとで見た英語訳だと「fantastic」。その言葉の意味するものが、よくわかった気がした。川下りの時間は、まさにIRIEだった。

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素敵すぎる川下りのおかげで気が大きくなって、あとで立ち寄ったお土産屋では散財してしまった。船に帰って「しまった」と思ったけど、今では悪くなかった気もする。それだけ、感謝してるから。

 

街で見た、見事な夕暮れ

いかだの後は、名物のジャークチキンを食べたりお土産を見たり。

夕方、モンテゴベイの中心部に出た。土曜の夕方とあって活気があった。街灯が少ないので暗くなってきたときには少し不気味さも感じつつ、広場で地元の人(=アフリカ系の人たち)ばかりの中に私たち日本人が数名佇んでいるという景色を見て、「ここでは私たちは“白人”なんだな」と思った。

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厳密に言えば日本人はモンゴロイド黄色人種)なわけだけど、その場で比べたら「白い」のだ、と、ふと思った。ここまでアフリカ系の人ばかりの場所に来たのは初めてだ、と改めて思った。思えば遠くへ来たもんだ、って。

その後街を歩いて見かけた地元のスーパーに入り、お店を出たときの空は、紫色が強めな、絶妙な色をした夕暮れになっていた。ハッとするほど綺麗だった。

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そんな夕暮れ時に、街のお店で見かけて買ったのが、今手元にあるコーヒーだった。当時の記録を見返してみたら、アメリカドルで、5ドルだったらしい。5ドルでこんな思い出の種をくれたなんて、安いもんだ。

 

思い出と今を、コーヒーの味に重ねて。

ここまで記憶に刻まれているのは、久々に「私らしく過ごせた1日」だったからだと思う。生きている実感と、平和と、自然を感じられた1日。地に足つけて、感動を味わえた1日。

そんな素晴らしい日に買ったものを、3年越しに思い出して、封を開けた。タイムカプセルのように。

この3年で私は、コーヒーを嗜むようになった。大人になったな。大人になっちまったな。

だけど変わらないことも、変えられないこともある。「人間は大地の上の生き物だ」という私なりの確信は、今も私の価値観の核にある。(以前記事にも書いた▶︎人間は大地の上の生き物だから、大地の上にあるもので暮らしたい。

最近は、年齢ばかり増えて「大人にならされている」ような感覚になることも多い。だけど確かに、時間は経っているし、その間に得た出会いも、感動も、悔しさも、罪悪感も、ある。その時間を、私は確かに生きてきた。

そんなことを、口の中で広がる深みとコクに感じて、コーヒーの味と人生を重ね合わせてみる。コーヒーだって人生だって、苦味こそ美味いんだ、それが深みに繋がるんだと、教わっている気がする。

このまま異常がなかったら、もう数日はこれを飲んで、ジャマイカを思い出そうっと。

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