小渕さん及びコブクロファンは、これから生まれる素晴らしい曲のために投資をしたのだと思う。失敗は糧になる。
先日、大ファンであり敬愛しているコブクロ・小渕さんのこと、MGCの国歌で「やっちまった」話を書きました。また自分の中で、違う視点が生まれたので、記録しておきます。
この記事の続きです▶︎MGC国歌斉唱でのコブクロ小渕さんに、一介のファンが思う葛藤を懺悔します。
- 活動休止によって生まれた歌に、力をもらってきた。
- 私たちは、これから生まれる歌を楽しみにしていればいい
- 笑いのネタにもなる…かも
- そもそも、「できないこと」で繋がった2人。
- これからも、変わらず応援してる。
活動休止によって生まれた歌に、力をもらってきた。
コブクロを結成してから、がむしゃらに活動し続けてきた2人。路上やライブハウスで歌っていたころにだって散々悔しい思いをしてきたのを、端々は知っているつもり。
だけど、日本中で歌が聞かれるようになり、十万人以上動員するツアーをするほどになってから経験した、2011年の活動休止。決まっていたライブも中止し活動を休止するというのは、きっと大きな“挫折”だった。続けるにも止まるにも、大きなプレッシャーや決断力が必要だったことは想像に難くない。
その後、小渕さんは「立ち止まる人の気持ちが初めてわかった」と言っていた。それまで止まることを知らなかったからこそ、今のコブクロはある。立ち止まることを知っていたら、別人になっていたと思う。でも今となっては、活動休止によって、素晴らしい曲も生まれている。そして、そんな曲たちに力をもらっている私がいる。
例えば、復帰後初ツアーで表題曲となった「One Song From Two Hearts」。
コブクロ - One Song From Two Hearts
最初の歌詞がとても好き。
外れた車輪 ボルト締め直したら Go way
立ち止まっていた時間が僕にくれた Canvas
ただの落書きに見えるかい?
なんだか、間接的だけど直接的な歌詞。2人の精神的疲弊を「外れた車輪」とまで言いきっている。
そして、私だって、何度だって、立ち止まってきた。自分の中で大切にしていた何かが崩れる音が聞こえるたび、立ち止まってきた。今だってそうだ。そんな中この曲を聞くと、「ただの落書きなんかじゃ、ねーよ」って、コブクロと一緒に私も、自分に対して、周りに対して、言いたくなる。
また、黒田さんが活動休止中に書いたという「LIFE GOES ON」。
1曲のうちに、この詞の書き手(もちろんそれは黒田さんでもあり、第三者としての主人公でもある)が、空しさや無力感から立ち上がるような変化を感じる。そしてその心情の変化は、とても赤裸々に語られているように見える。
1番の歌詞は、虚しくて。
誰が為の 歌だったろう?
誰が為に 誰が為に 歌い続けていたんだろう
だけど2番は、少しずつ希望を、意味を見出していて。
夜空を覆い尽くしてる あの雲間からでも
星がキラキラ瞬いているのを感じるようになったよ
何かが違うとか 何かが足りないとか もうそういうのはやめよう
この曲を、活動休止中に書いて、翌年ツアーで歌って、でも本当は歌い続ける気力はまだなかった。今はそれを知っているから、どんな気持ちで書いて歌ったのかと想像するだけで、胸がいっぱいになる。
僕ら失くしても失くしても まだ立ち止まる事も出来ずに
傷だらけのまま また走り出してたんだ
そしてアルバムの歌詞カード(リーフレット)の曲説で語られる、当時の思い。
一歩でも前に進まなければという焦燥感に追いかけられていました。
活動休止は、必然でした。
何かを超えた2人の歌は、もっと優しくなった。すぐそばにあるものを愛おしく思う歌が増えた気がする。
- 陽だまりの道
君と笑って過ごせるなら 何も要らない
特別じゃない毎日のどこかに幸せを
失わぬように感じて生きていよう
陽だまりのような優しい歌と ささやかな夢を胸に - hana
曇り空に慣れた方が 日々を明るく感じられる
- 風をみつめて
ゆっくりでいい 前を向いて 一歩も進めない そんな今日は
未来の君が もう1mmだけ 頑張れる日の為の雨宿り
そんな曲に心底共感して、感動している。
私たちは、これから生まれる歌を楽しみにしていればいい
だから、今回のことも、小渕さんは今までより「“失敗した人”“やらかした人”の気持ちがわかった」機会になったんじゃないかなって思う。
だとしたら、より私の力になってくれるような曲が生まれるのではないか?描く歌詞の幅が広がるのではないか?と思えるのです。
私も、いまだに人に言えないような失敗を散々してきた。前の記事で書いた合唱祭のピアノの失態だって、まだ過去の事だと割り切れてるから書けているのであって、私の積み重なった罪悪感を構成するほんの一部の出来事でしかない。
実際小渕さん本人も、「今日の気持ちが、歌詞になる日が来たら」とファンクラブ内のブログで書いている。だからきっと、どんな形にせよ、曲の糧になる。これまでも、旅だって日常だって、歌の糧になってきたのを知っている。失敗だって、同じだ。歌として消化・昇華させられるのだから、ミュージシャンって良いなと、無責任に思ってみたりする。
だからこれは全力で、応援して、楽しみにしていい案件なのでは?!と、私は思えるようになった。これから素晴らしい曲が生まれるための、“投資”のようなものだったんじゃないかと。
こういう思いに至ったことで、自分の事も、少し許せる気がした。私の失敗だって、何かの糧になるのではないか、そしてそう思ってくれる人が周りにもいるんじゃないか、と。
笑いのネタにもなる…かも
そしてついでに、大阪出身でMCの面白さも定評となっているコブクロだから、いつかMCなどで笑いに昇華させてくれる日も来るかも。
陣内智則が結婚式でピアノで弾いて一躍有名になったコブクロの曲、「永遠にともに」。しかし、2人はその後離婚。
その一連のことについて、2015年頃からツアーやテレビ番組で言及するようになり、2015年、ツアーで久々にこの曲を歌った後には
黒田「テレビでコブクロ激怒!って言われてるけど、コブクロ2人しかおらんくて、俺が怒ってないってことは、お前が怒ってんねやな?」(笑)
小渕「怒ってない!!」
というやりとりをしたり。
去年、2人のみで回ったツアー。私が参加した横浜1日目には、その場で歌う曲を決める場面で、
客「永遠にともに!」
黒田「永遠にともに?あー、陣内さんと小渕が無理って言うからできないんですよね」(笑)
小渕「言ってないわ!じゃあ、永遠にともににしますか!」
黒田「永遠にとものり?」(笑)
小渕「お前、、これから何回“ともに”言うかわかってんのか!歌いづらいやろが!」
というやりとりで散々笑わされた後、しっかりしっとりと、歌ってくれました。
前の記事でも書いたように、最近小渕さんは、声がうまく出なかった時もあっけらかんとしていて、自分の力が及ばないことを手放しているような感じがあります。だから何かのきっかけで、その時のことを話してくれたり、2人で笑い飛ばすこともあるかもな〜と思っています。
2009年、コブクロのツアーを取材した音楽ライターさんの、この言葉がなんだかずっと頭の片隅に残っていて、思い出します。
無一文と言えば、この4月、僕は悪い女にだまされて無一文になった。なにかしらの不幸にあった人の話を、親身になって聞いてくれる人は優しい。でも、その話を笑い飛ばしてくれる人はもっと優しい。インタビューの席で、僕の無一文ネタを笑い飛ばしてくれたのは、芸人とコブクロだけだった。ほとんどの人が、同情という名の優越感に浸っていた。コブクロは、その歌だけでなく人柄も優しい。
『Recording&Tour Offiial Book コブクロ CALLING』p68
人のことを笑うなら、その人が少しでも嫌な思いをしそうな笑いは、私は嫌い。そして自分のことを笑うなら、しっかり受け止めた上でこそ、笑い飛ばそう。それこそ、笑いだと思う。コブクロの笑いには、そんな懐の深さを感じるし、誰も傷つかない笑いだから、安心して笑える。
そもそも、「できないこと」で繋がった2人。
ギターが弾けなくて、曲も作れなかった黒田さん。「曲を作ってくれませんか」と商店街の路上で出会った小渕さんにお願いして、できた「桜」。小渕さんは曲をあげたつもりが、黒田さんがギターをまともに弾けていないことを見かねてギターを手に取り、ハモりつつ2人で歌ってみたら、たくさんの人が足を止めて聞いてくれた。そんなことから2人で始まったコブクロ。
基本、曲を作る小渕・歌う黒田と分業している2人。性格も真逆。得意なことと苦手なことの“需要と供給”が一致している。1人の方だけ見たら、ただの「苦手なこと」「ダメな奴」として片付けられてしまうことも、補い合ってプラスにしている。
「できないこと」で繋がり、それをプラスにしてきた2人。柔軟な、しなやかな強さがある。だから例え「やっちまった」事も、それをプラスにする・できる2人だと思う。これまでも、その姿に勇気づけられてきたから。
これからも、変わらず応援してる。
出来るだけ調子の悪い声を聞きたくないのは、正直変わりません。本人がそれを晒す覚悟があったとしても、そして私もその覚悟は受け止めるし共感しつつも、それをどう感じるかは人それぞれ。
だけど、いつだって味方でありたいし、応援しているし、どんな選択をしようとそれを受け止める。色んな覚悟や考えがあってのことだと、信頼しているから。
10年前の今日は、初めてコブクロのライブに行った日。これからも、ともに。