ボーッと生きてんじゃねーよ!とか、言われたくない。言うなら政治や社会に突っ込んでくれ。
巷では結構人気らしい、NHKの番組「チコちゃんに叱られる!」。ちょうど夕飯時の番組で、うちでもテレビでついていることが多いです。
でも私は正直、毎回不快で仕方ないです。本当に心底見たくないのですが、夕飯の時間やチャンネルをいじる権利が私にはありません…。
一応番組について説明すると、永遠の5歳という設定のキャラクター・チコちゃんが、素朴な疑問を大人にぶつけて、正解がわからなかったら「ボーッと生きてんじゃねーよ!」と、出演者=「大人」たちを叱る。そしてVTRでその答えの理由を知る、という構成。
チコちゃんのませた物言いや痛快さが受けているようですが、私はこのセリフを聞くたび本当に嫌な気持ちになります。初めて聞いた時はびっくりしたし、その後もこの不快さは変わりません。
嫌なことについて書き残すのもな〜と思っていましたが、私がそう感じる理由をいくつか分解してみます。
- ボーッと生きてる、バカだと思われたくない私のプライド。私だって私なりに考えて生きてんのよ。
- 言うならもっと政治や社会に突っ込んでくれ。
- 「大人」の想像・創造の余地を否定してる感じが嫌。
- まとめ:子どもはもっと大人だし、大人はもっと子ども。
ボーッと生きてる、バカだと思われたくない私のプライド。私だって私なりに考えて生きてんのよ。
昔から、「何も考えてないと思われたくない」というプライドみたいなものがあります。子どもの頃から、当時なりに色々感じたり考えたりしてきた方だと思うし、年齢の割に落ち着いてるとよく言われてきました。小1くらいの時に「親と年齢差がある一人っ子だから、親がいなくなるのも周りより早いから、しっかりしなきゃ」と明確に思ったのを覚えているほど。中学生の頃などは、廊下でキャーキャー騒いだりする同級生を横目に見て、「バカだなあ」と内心見下していたような中学生でした。
常に考えすぎで、考える量に比べてそれを人に話す量や行動が足りない分、いつだって頭はパンクしそうなほど。細かいことにも気づくし傷つく。そんな私が、「ボーッと生きてんじゃねーよ!」とか画面越しに言われたら、「はあ?」「なんなの」「私が考えてること何も知らないくせに」などなど、悲しいやら怒りやら、いろんな負の感情が湧いてきます。
このセリフを楽しく聞けたり、逆に叱られて喜ぶ人の気持ちが本当にわからない…。エンタメの一部だとしても全然面白くない。まあ、私は冗談があまり理解できないタイプ(言葉通りの意味しか理解できない)なので尚更そう感じるんだと思いますが。
てかそもそも「叱られるのが良い」だなんて思ったことがない。ピアノを習っていた小学生の頃は、アドバイスをもらっただけで毎回悔しくて情けなくて泣きそうだったのに。
言うならもっと政治や社会に突っ込んでくれ。
上記の「個人的なプライドに触る」ということを横においたとしても、嫌悪感は残ります。というのも、「ボーッと生きてる」と指摘されるのが、例えば「ホットドッグはなんでホットなドッグなのか知らないから」という程度の、本当「雑学レベル」のことだから。
番組始まった頃から強く思ってるんですが、このセリフを放つなら、「憲法って何?」「消費税って何?」「難民って何?」「学校って何のために行くの?」「検察って何してるの?」とか、社会や政治に関わることに言って欲しい。知られるべき社会課題や、偏見にさらされやすい物事こそ特に。それを答えられない大人が「ボーッと生きてる」ことにされるのは私は納得できます。そして、そういう啓蒙的かつ面白い番組をNHKがやる意義もそれなりに感じます。
“ただの”雑学番組で、しかもそれなりに視聴率も取れるなら、民放でやれよ、と思います。こういう番組のために受信料使われてるのは正直かなり疑問です。チコちゃんの顔のCGとか、どこに金かけてるんだ。
こういう番組を許容してる状況にこそ「ボーッと生きてんじゃねーよ!」って言いたくなるのです。
「大人」の想像・創造の余地を否定してる感じが嫌。
ついでに、もう一つ思っていること。それは、チコちゃんの質問に対して答えをひねり出す「大人」たちの答えが結構想像的・創造的で面白いということです。
周りのものに慣れ過ぎて、理由や意味を問うことを忘れてしまった大人が、素朴な疑問に触れてはっとしたり、意味のわからない答えなどを言い出すさまは、面白いです。そこの面白さはわかります。
だけど番組は、そんな想像・創造を否定して、「正解」を出すことが重視される世界観なのが残念すぎる。コロナ禍で尚更、「正解も不正解もない時代」であることが明らかになっているというのに。大人の遊び心や想像を面白がれる方が、いろんな楽しいことが生まれるはず、とも思います。
まとめ:子どもはもっと大人だし、大人はもっと子ども。
こうして書いてみると、私が前から思っている、「子どもはもっと大人だし、大人はもっと子どもだ」ということが考えに表れている気がしました。番組自体も、「“子ども”が“大人”を叱る」という、ある意味普通とは逆な点が受けているんだろうとは思います。そうして、ちょっとかぶる部分があるからこそ、理解の及ばなさや不快感につながっている気がしてきました。
大人だから・子どもだからという枠にとらわれずに、対等に、個々によって違う知性も未熟さも認め合えたら良いなあと思います。というかそもそも、両者の間に決定的な差というのはないと思うのだけど。