ふーみんLABO(仮)

26歳女が「納得できる自己紹介」を目指して執筆中。エコ・節約・映画など、私の頭の中を可視化するため、とりあえず色々書いてみようという実験です。

横浜の現代史としても、関わる人の視点としても、ドヤ街は他人事じゃなく近い存在。「寿町のひとびと」感想。

目立つ黄色い表紙に、地元・横浜のドヤ街の名前を冠した題、「寿町のひとびと」。 

寿町のひとびと

寿町のひとびと

 

本屋で見て気になっていたら、街で持って歩いている人まで見かけました。またある本屋では、雑誌での紹介文をコピーした店頭ポップがあり、グッとくる言葉がありました。

私自身、カメラマンの故・渡辺克己さんと、寿町を一日中歩きまわったことがある。通称“新宿のナベさん”は、1960年代から新宿の“裏街道”に生きるヤクザや性風俗産業従事者、路上生活者らを撮り続けてきた。東北なまりで「世の中に悪い人はいねぇんだ。悲しい人がいるだけなんだ」と言うのが、酔ったときの口癖であった。
週刊現代 11/28 評者:野村進 ※太字は付記)

そんないろんなきっかけで、中古で本を購入し、読んでみました。内容も紹介しつつ、感想をまとめてみます。

 

概要

狭い個室で安価に宿泊できる簡易宿泊所が密集し、日雇い労働者たちが暮らしてきた「ドヤ街」。今は労働力の供給というよりも、生活保護を受給しながら暮らす単身高齢者が多く、福祉面などの支援ニーズも高い街になっています。

「日本三大ドヤ街」と言われる、上野・山谷、大阪・あいりん、横浜・寿。その1つ、寿町(ことぶきちょう)で暮らしたり商売をしたりしている人たちに取材をしてできた、ノンフィクション作品です。

ちなみに寿町は、横浜の中心部の一角にあり、すぐ近くには元町・中華街などがあります。石川町駅からすぐ。

 

ホームレスやドヤの住人よりも、寿町で活動するNPOやお店の人の話がメイン

本の題からして、いろいろあって寿町にたどり着いたドヤの住人たちの半生、みたいな話がメインかと思っていましたが、少し違いました。

寿町に関わる人の「キーパーソン」とも言えるような、

たちへのインタビューが大半でした。そういった人たちが、寿町の住人たちをどう見て接しているかや、どうしてそういう仕事をするようになったのかなどが語られます。

確かに間違いなく、そういう人たちも「寿町のひとびと」なのですが、私としてはちょっとイメージとは違いました。でも十二分に面白く読み終えました。

 

まちづくりという点では、普通の住宅地よりも活発に活動がされている

上記のように、私が本を手に取ったとき「寿町のひとびと=住人」と捉えたのは、その町を支える人や中で働く人のイメージがあまりにもなかったからかな、とも思います。

しかし実際は、町に惹かれたりして積極的に関わってきた人たちも多い町なのだと、読み終えて思いました。また、介護を受けて暮らす住人も多いので、ヘルパーさんの出入りも多いそうです。

関わる人が多いという点では、横浜市内の多くの住宅地よりは活発にいろんな活動がありそうで、それは良いことだなあと思いました。

 

横浜の歴史で重要なのは、終戦後の接収。全然知られてない。

寿町の歴史についても触れられていて、改めて思ったのは、終戦後に横浜の中心部の接収が長く続いたことが、今の横浜に大きく影響したということです。

横浜の歴史として学校で熱心に教えられているのは、

  • 吉田新田(入江だったところを埋め立てたことで、今の中心部ができた)
  • 横浜港の開港(西洋の文化が横浜から入った。物資の輸出入で大きな役割があった)

の2つだと思います。

しかし、学校の歴史の授業では一般的になぜか現代史が軽んじられがちなのと同じく、今の横浜の姿に直結している米軍による土地の接収については、学校で習った記憶はないし、1年ちょっと前に行ったシンポジウムでまともに初めて知りました。

mizukifukui.hatenablog.com

この↑記事にも書きましたが、接収までにも、関東大震災や空襲などで都市計画において幾度かの“断絶”がありました。その後人口爆発も迎え、街の課題を解決するため「六大事業」が制定されます。それは以下の6つ(p281より)

そしてこの「六大事業」には「寿町から多くの日雇い労働者が送り込まれていた」ということです。

また、接収されたのは空襲後で焼け野原になってしまっていたからでもあり、そしてその後接収が解除された寿町にドヤが沢山できたことが、今のドヤ街形成のきっかけだったという点でも、戦争前後の出来事の影響は大きいです。このことはもっと知られるべきだし、知っておかなくちゃなと強く思わされました。
 

あと、ちょっと話が逸れますが、最近私がぼんやりと思っている、「横浜の中心部にせよ、地元の住宅街にせよ、意外と結構「新しい街」なんだよなあ」という考えが、この本を読んでより深まりました。

まちづくりという視点では、開港から160年ということも、戦後75年も、ニュータウンなどの宅地開発から40〜50年くらいなのも、土地の文化や景観を作るにはまだ足りないのだと。新しいものや大規模な商業施設が多く、いまいち町の文化や息遣いを感じられない場所が多いのも、ある程度は仕方ないのだと。

だからその分、自分から町のあり方に関わったり、作っていく意識を持っていたいと改めて思いました。

 

今の横浜の景観を作った、寿町の日雇い労働者たち。他人事ではない。

上で書いたことと重複しますが、「六大事業」は、今の横浜の景観に直結している事業です。そしてそれを支えた、寿町(の日雇い労働者たち)の存在は、今の横浜市民とも全く無縁ではありません。改めて、つながりを感じました。

 

寿町に関わる人たちの視点・考え方にも共感することが多く、「こういう人たちがいるんだなあ」と、以前よりは近く思えるようになった気がします。

各章ごとに数人ずつまでを取り上げていて、一人の人生から時代も生き様も見えてきて面白かったし、読みやすかったです。

横浜の人にはぜひおすすめしたいし、そうでなくてもいろんな発見がある本だと思います。興味ある方はぜひ。

寿町のひとびと

寿町のひとびと

 

 

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